invisible enacting act
「ミニ・スピーチ」
「慶應義塾有志の会シンポジウム 安全保障関連法案と《学問の自由》をめぐって」, 2015年09月18日 (於: 慶應義塾大学三田キャンパス北館ホール).


このシンポジウムでは「基調講演」と呼ばれる2つの比較的長いスピーチ, および「リレートーク」としてまとめられた13の比較的短いスピーチがおこなわれました. 私はその「リレートーク」のなかの1つとして以下を話しました.
以下は, 準備しておいた原稿をもとに話した内容を, 録音にもとづいて修正したものです. ただし, 細かな言いまわしやその場の冗談などは再現していません.


 高桑和巳です. 理工学部で, 一般教養を担当しています. 現代思想が専門です.

 私自身は, 今回の [「慶應義塾有志の会」の] 声明が作られる過程には加わっていないのですが, 声明には賛同しています. この声明にどのような観点から賛同しているのかということをお話ししたいと思います.

 今日は, 言説分析と政治思想研究の観点から, ごく単純な2つのことを言うためにここに参りました.

 ご存じのとおり, 今年6月はじめの衆議院の憲法審査会で, 3人の憲法学者が, 今回の法改正は憲法違反であるという見解を示しましたが, 次いで政府与党はこれをなかったことにしました. 憲法審査会というのは, 生ずるかもしれない問題をあらかじめ避けるためにいわば法廷の予行演習, 法律相談としてしつらえられているものですが, その場で憲法学者たちがせっかく教えてくれたことが無視されたわけです.

 これは, 立法プロセスが憲法解釈の本道を顧みなくなったという意味で衝撃的なことです. ただし, これは単にマナーを無視している, 乱暴だ, というようなことではありません.

 少し言葉遊びに聞こえるかもしれませんが, あえて申します. 今回の「解釈改憲」は (解釈改憲というのはいままでも何度かおこなわれてきているわけですが), 厳密に言えば解釈ではないと私は考えています. 解釈は停止されている. これが今日お話ししたい第1点です. 説明します.

 これまでの内閣法制局の判断は, そのつどデリケイトな問題を孕んではいたにしても (もちろん自衛隊のことです), 少なくとも, 法解釈の最終的本拠地である司法の場において下されるだろう判断を想像力によってあらかじめなぞり, 矛盾が生じないようにするために最大限の努力を払ったものでした. それがこじつけに類するものだということも時代においては言われたわけですが, 是非はともかく, それは「解釈改憲」の名には値するわけです.

 しかし今回は, 法解釈への配慮が文字どおり存在しません. 表立って言われてはいませんが, ここで事実上おこなわれているのは (いま, ちょうどそのプロセスが [参議院本会議で] おこなわれているところですが), 憲法のしかじかの条文 (第9条) をそのまま停止させるということです. つまり,「解釈しないをしている.「これは拡大解釈の最たるものだ」ということがよく言われますが, おそらくそれは間違いです. それは拡大解釈ですらないのです.

 国会での政府与党の答弁を聞いて, 私たちは違和感を覚えます. 私に言わせればその違和感はこの点, つまり今回の「解釈」と称するものが拡大解釈ですらないという点にまずは由来しています.

 百歩譲ってそれを解釈だと言いつのることを許すとしても, では誰がその解釈をできるのでしょうか. その解釈をおこなう権限をもつ者は限られ, それ以外の私たちは, 問題となっている言葉を同じ意味で使うことが原理上妨げられてしまいます. 野党の解釈がしごく正当であるにもかかわらずことごとく力を失っていき, 政府与党の解釈と称するものが自由に意味を生み出し続けるように見えたのはそのためです. 当然と思われる指摘が力によって意味を失っていくということ, 明らかに誤った主張が平然と通っていくということ, そして彼らにとってはそれでもまったくかまわなかったということ, それが違和感の正体でしょう. 繰り返しますが, ここでおこなわれているのは拡大解釈ではありません. 文字どおりの解釈の停止です.

 ここからは, 1つの裏のメッセージを簡単に読み取ることができます.「今後は, 解釈と呼ばれる権力・権限は我々政府与党が占有する. おまえたちの解釈はいかに正当であろうとも, 採用されることがない以上, いっさい意味をもたないだろう」. これがその裏のメッセージです. そう考えなければ, 政府与党が不明瞭な答弁を終わりなく, 平然と垂れ流していたということの意味はわからないままでしょう. これはさすがに彼らが意図したことではないでしょうが, 答弁が失敗すればするほど, この裏のメッセージは結果として強く伝わることになりました.

 これによって遂行されたのは, どのようなことでしょうか.

 政府に対して立法権を事実上, あるいはなしくずしで譲り渡すということです. これが今日お話ししたかった2点めです.

 政府に対する立法権の譲り渡しとして有名なのは, ナチの事例です. ナチのばあいは今回とは異なり, 表向きはすべて合法的におこなわれています. 憲法にあらかじめ記載のあった大統領権限で憲法の諸条項を宙吊りにし, そのうえで全権委任法を成立させています. これはもちろん, その後に起こったことを考えれば途方もない問題ですが, とはいえ, 法治主義が侵害されていないという表向きの事実は残っています. 今回は, そのような最悪の手続きすら取られていません. 最悪よりも悪いということです.

 では, 権力の譲り渡し (行政が立法の場を占めるということ) はどのように成し遂げられたのでしょうか ? 彼らは, 今回の立法プロセス自体を, 目に見えない1つの全権委任法として機能させるということをしたのです. 議会では,「存立危機事態」その他を誰も明瞭に再定義できず, 念頭にあるはずの具体的事例をあらかじめ枚挙して条文化することすらできませんでした. しかしそれでもまったく困らないし, むしろそれでよい. なぜなら, それを規定するのは条文ではなくて, 政府のそのつどの臨機応変な判断であるべきだからです. 今回の立法プロセス自体が, 事実上の, なしくずしの全権委任法可決に相当するというのはそういうことです.

 では, 私たちはどうすればよいのでしょうか. なるほど, 野党によるまっとうな追及は, 報道を通じて政府与党の支持を低下させることに貢献しますから, 十二分に意味があります. とはいえ, それに乗っかって政府与党の答弁を嗤うようなことを続けても, それは憂さ晴らしにしかなりません. 彼らはオールマイティな曖昧さを担保したいだけなのだから, 仮に立法プロセスで自分が愚かに見えたとしても何も困らないのです.

 政治から統治へ, 立法から行政へという力点の移動はいま, 世界のいたるところで見られるものですが, 今日お話ししたこの2点は, 現代政治における新たな戦略の誕生をしるしづけるものです. この動きに抵抗したいのであれば, 新たな分析手法, 新たな概念を作り出すことが必要になってくることでしょう.

 以上です. ありがとうございました.