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バッハ「ロ短調ミサ」
「詩と思想」 特集「バッハ」


●ロ短調ミサ曲の「言葉」の世界
            バッハにおける「崇高」について


 バッハ没後二五〇年。今年はドイツの各地でそれにちなんだ行事が催されている。南のレーゲンスブルクという町。ここも例外ではない。バッハ週間などと題して、市内のあちこちで彼の様々な曲が聞かれる。七月二八日の命日には、夕方の五時から夜中の二時まで延々と演奏会が催された。この町にはカトリック聖堂付属の「聖堂の雀たち」という有名な少年合唱団がある。彼らもバッハを歌った。プロテスタントの教会を会場に。二〇世紀に提唱された世界教会主義を新千年期の劈頭に確認するような光景であった。
 バッハは、晩年にいくつか演奏を前提としない曲を書いた。「ロ短調ミサ」はその一つ。ライプツィヒの音楽総監督として、彼がトーマス・ニコラス両教会の礼拝など教会行事のために書いた曲の数は、世俗曲をはるかに凌駕している。そのうえ彼がなぜ、カトリックのミサの形式で、すなわち演奏の全く不可能な曲を遺したか。その理由はさまざまに問われてきた。教派の隔たりを超越した信仰告白か? それならば、例えば「雀たち」の歌にかつての困難は克服されつつあるかにみえる。だがそれだけではこの曲が例えば日本でも聞く者の共感を呼び起こすことの意味−その問いに答えたことにはならない。
 それは、生涯の集大成として究極の響きを追求した絶対音楽なのか。バッハの晩年の音楽にはしばしばそのような標語が付される。「ロ短調ミサ」に極まる荘厳な世界、云々と。だが、バッハの意図は、本当にそのような純粋さの追求のみにあったのだろうか。彼の音楽はむしろ、つねに言葉とともにあった。例えばそのオルガン曲も「コラール(ルター派の宗教的民謡詩)」の背景なくしては考えられないように。その生涯の締めくくりにバッハは、「ロ短調ミサ」に彼の言葉の理解を留めようとしたのではないか。
 「ロ短調ミサ」の構成、一見それはカトリックのミサをそのまま踏襲する。だが、その重点の置き方は著しく異なっている。全体を三つの部分として聞くことができると思う。
 (1)ルターの宗教改革は「キュリエ」と「グロリア」のみをプロテスタントの礼拝の内に残した(ルター『ドイツミサ』一五二六)。「ロ短調ミサ」のうちでも、最初のこの二つのみが、かつて通して作曲され、実際の礼拝で演奏された(一七三三)。それゆえ、由来からしてもこの部分は一つのまとまりをなす。内容的には、いわば曲全体の精神を予め要約した形で示す導入部といえる。「詩」の語り出しが作品全体を映し出すように。
 (2)第1部で整えられ、響きを得た魂は、「クレド」において「神の言葉」に正面から向かう。ここは「ニケア信条」(神学的には、神にして人なる「キリストの両性」を強調したもの)にそのまま曲がつけられている。「神の言葉=キリスト」を「告白」する「信仰詩」の精髄である。ルター派福音主義教会の礼拝では牧師が行う説教(言葉の解釈)に当たるこの部分を、バッハは音楽で行う。イエスの出来事をめぐって、一つ一つの告白が歌われていく。その中心は低きに降る神、すなわち「人となったキリスト」、ことにその低さの極み「十字架」である。本来独立して作曲された「サンクトゥス」は、「クレド」への「頌栄」を形作る。「長歌」に付された「反歌」にあたる部分と思えばよい。
 (3)「ホザナ」から「ベネディクトゥス」「アニュス・デイ」までの一連の流れは、構成的には(1)に照応する(ABA構造など)。だがこの終結部は導入部に比べると著しく小振りである。それは、言葉(説教)から礼典(聖餐)への移行に呼応する? いや、むしろそれは、礼拝の後半部の言葉が週日の生活への歩み出しを促す、その事態に対応するからであろう。会衆にも辿りやすい曲想は、そのような歩みを暗示する。ワーグナーの曲のように、全存在を音楽に委ねてしまい、身も心も奪われてしまう聞き方ではなく、昇華された「詩」の疾走から立ち戻って、もう一度現実の言葉の中を歩むことが勧められる。
 最初から、素朴に曲の進行をたどってみよう。「キュリエ」。始まりは神への呼びかけ。魂は神の高みへと哀れみを請い求める。悲痛なまでに荘重な響き。だが全体は、続くキリストへの呼びかけの言葉に呼応して、むしろ低い底の底まで聖いものが降ってくる趣。仰がれる神は、隔絶されたエーテルの高みに君臨する唯一者ではない。神との隔たりを知りつつ、人間の魂は俯いてしまわずともよいのだ。神自らが、そのような人の直中へ降ることを喜びとするのだから。「キュリエ」から「グロリア」への展開は、そのような喜びを反響させる、個の内面の清澄な響きに充ちている。どん底から神の業を見つめる魂は、「神の言葉」に向けてゆたかに整えられていき、「グロリア」末尾のフーガに至る。ここは神の真実に対して底抜けの賛美が響き渡る部分である。フーガは「遁走曲」とも訳されるように、これはむしろ楽しい鬼ごっこである。少年たちの歌う、その楽しげな駆け足!
 「クレド」に関して学者たちは、「十字架につけられ」を軸とする見事な対照構造を指摘する。形式のみに注目するとまさしく荘厳な神殿の趣。神の第二位格の徴として、キリストの出来事が二重唱で歌われたり、その他にもこの部分は七や一二の完全数など多くの数象徴を含む。だがそれは、言語を絶する荘厳な数学的世界を窺わせるものではない。(註1) そもそも聴く者にはそんなことは分からない。耳を傾けた印象はむしろその反対である。キリストの出来事の極み「十字架」に至り、悲しみの調べがきわまるところでも、あくまで人の足下を照らしだす光の階調に充ちている。ことに最後の「我らは望む」のしめやかな明るさ。全体がこの光明から逆に照らし出される。そして至り着くところは再びフーガ。対位法の大家バッハは、駆けるめぐ旋律を次々と重ね、ついには地の上のもの全てを揺り動かす。聞く者はその律動に素直に身を委ねて(スイングして)かまわないのだ。
 「ロ短調ミサ」全体を通じて、やはりこれはバッハだと感じさせるのは何といってもフーガの部分である。フーガは、歌う人間、また聴く人間にその「身」を意識させる。体がなくては走れないように、弾む体がなくては歌えないということを。人間の言葉は、複雑な概念である前に、まず音とイメージである。いずれも深く体(とその感覚)に結びついている。体の律動と言葉の響きは、深いところで通じている。意識の有無は別として、詩人は皆そのことを知っている(「身」に覚えがある)はずである。
 人間(ことにその体)は滅びと死に瀕している。それは聖書の人間観。だが聖書はまた述べる。人間はまた造られた者としてその存在に本来託された祝福をも担いうると。言葉もまた同じである。人間の存在が暗く罪にまみれているそのままに、人間の言葉は呪詛と悲嘆とに充ちている。だが、キリストが「十字架において」罪のどん底における人間存在の闇を担うように、人間の言葉もまた神の言葉に担われている。キリストは、人間の言葉に受肉した神の言葉として、人間の言葉がいかに汚濁にまみれていようとも、それを根本から肯定へと逆転するからである。闇から光へ。人間の存在と言葉を捉えるそのような転換の動態。音楽はそれを表現すべく人間に備えられている。バッハの音楽は、そのような言葉の理解に立っていた。
 神自らが人間存在のどん底にくだり、人間的なものの卑しさの直中に住まう。それゆえに人間はどんなに悲惨のどん底にあっても喜び歌うことができる。仰ぐ眼差しは、そのような上からの祝福の響きに満たされ、全身が楽器となって鳴り出る。端的に言えば、これこそがバッハにおける「崇高」の精神である。それは、神と人間との隔たりが神自らの降下という不思議な仕方で除かれ、止揚される、その事実を目の当たりにした驚き、沈黙、それにつづく魂の底からの歓喜をもともに響かせる。このような「崇高」の理解は、一宗教の枠を超えて大きいものであり、バッハの「ロ短調ミサ」が、日本においても繰り返し演奏され、キリスト者以外の心にも訴えうるのは、それがそのような人間存在と言葉の姿を、そのまま曲の姿としているからである。
 神に向かう没我の賛美、その崇高性は、このように人間がその「身」とその困難を深く意識するとき、たとえば日毎の食事の反復と無縁ではない(「ロ短調ミサ」最終部)。音楽は、そのような被造性を実感させつつ、なおその限界づけられた日常に浴し、楽しみ生きるように導く。(註2) バッハの曲づけた言葉、信仰告白とは、荘厳な芸術の孤高性へと収斂していくものでは決してなく、むしろそのような喜びにおいて、素朴な共同体の中へと開かれていく言葉であった。
 音楽を何よりも言葉として理解したバッハの作品は、言葉について、また詩の本質について多くの示唆に充ちている。深く体に根ざすものとして、言葉は人間存在の悲惨を何よりも映し出す。悪態と呪詛に充ちた言葉は、まさしく人間存在の困難と問題性を示す。だが、それだけだろうか。人間存在にはまた、まさにその闇のどん底に、その虚しき空洞としてのあり方そのものに、喜び喜ばせる響きが委ねられている。言葉には、人間存在の光輝をもまた託されているのだ。このような言葉の理解は、あるいは個別宗教の枠を超えるものであり、そのような問いかけと成就をバッハの音楽は示してくれる。言葉と音楽がそのような関わりのものであるならば、詩の本質もまたそこに示されているのではないか。詩が言葉の精髄であるとしたら、それはバッハの音楽がその務めとしたように、人間の闇と光とを同時に映しうるものではないか。詩は、呪詛に満たされた日常のみならず、それが存在の祝福に満たされるその瞬間をもまた歌いうるものではないか。
 二〇〇〇年七月八日、ドレスデン。十字架教会で「ロ短調ミサ」を聴いた。終曲の「主よ、我らに平和を」が響き止む。指揮者は頭を垂れたまま、しばし祈りの静寂が続く。十字架合唱団の少年たちも静かにそれに従う。(註3) 少年合唱団の子供たちもまた、普通の子供たちである。彼らの日常も、悪態と怒号に満ちた人間の生活と無縁ではありえまい。その顔の悪戯そうなはにかみ。だが、聖書は、そのような弱き者にこそ人間存在の深奥を満たす「崇高」の言葉が託されていると告げる。「主は嬰児と乳飲み子の口に敵に備える砦を設けられた」(詩篇八篇)。

註1 バッハにとって「数」とは、微塵の狂いもない冷徹な構成のための道具では決してなかった。間近に迫った演奏のために、言葉という音楽の身体的側面を量り、曲を整えるための職人の手仕事の道具、いわば「大工職人の墨縄」であった。

註2 「ロ短調ミサ」が旧作の世俗曲の「パロディー」を含むことも、そのような彼の創作姿勢を反映する。どんなに荘重な作品世界も世俗の日常世界を映し、その直中から生まれくる。食を愛し葡萄酒を楽しんだバッハの日常と彼の宗教曲を切り離してはならない。バッハにおいて「聖」と「俗」は一つである。「アンナ・マグダレーナのための曲集」に含まれるユーモラスな曲「煙草パイプ」の悲哀と、「ロ短調ミサ」における神の栄光を称える管楽器とが、ともに風(聖書では「霊」と同語)の通り道としての「人間」の比喩となるように。

註3 指揮者が頭を起こすと拍手が起こりそうになったが、彼はそれを手を挙げて制止、独唱者と共に退場した。十字架合唱団の少年たちも粛々とそれに続く。バッハは自らの作品の演奏譜末尾に「SDG(神にのみ栄光を)」と記した。「ロ短調ミサ」では二箇所。そのようなバッハの精神が、彼の故郷近くにはまだ息づいていることを感じさせる光景であった。そんな慣習を知らない日本では、この少年たちはきっと拍手喝采を受けるだろう。それもよい。バッハが深く聖書の言葉に根ざした芸術家であったということは、彼の精神をいわゆるキリスト教世界に閉ざされる狭さから解き放っているのだから。


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