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詩学の部屋

★「詩人イエス」

★1997年度の大学院における講義「詩篇の世界」の内容をまとめたものです。


1 詩人イエス?
 
◆詩人の問題
 
 イエスは詩人であった、と聞いて、そのとおり、とあなたはすぐに納得するか。それとも、うなずく前にしばらく立ち止まって、聖書や文学について考えてみようとするか。
 私の場合、それは、久しく後者であった。十代の終わり、文学の世界に惹かれ、その方向への歩みを探っていた私は、思いもよらぬ言葉に出会った。「詩人的存在は罪である。」デンマークの思想家キルケゴールの言葉である。頭に血が上るのを覚えた。以来、癪にさわるが無視しえぬものとして、この言葉は私を離れなかった。その意味も分からぬまま、私はこの言葉を克服する途を探して、その周りを久しく巡りつづけた。それが、私が聖書やキリスト教思想の世界に分け入っていく最初の契機となった。
 まもなく、キルケゴールの言うことが少しずつ見えてくる。詩人は自然を歌い、また人生を頌える。しかし、詩人が本当に追求しているのは、作品の生まれる際の充実感、その一瞬の詩精神の昂揚であって、それ以外ではないのではないか。なるほど宗教詩というジャンルがある。しかし、いかに心を打つ神讃美であれ、表現にはつねに自己実現の追求が密かに伴う。詩人の追求するのは結局、創作に伴う審美的な満足以外の何ものでもなく、自然の事物や人生の経験、神すらもそのための手段にすぎないのではないか。
 そのころ読んだ詩に「一篇の詩を生むためには、/われわれは殺さなければならない/多くのものを殺さなければならない」とあった。詩人はこの詩の終わりに「これは死者を甦らせるただひとつの道であり/われわれはその道を行かねばならない」と歌う。(1)だが、詩は本当に他者を救えるのか。そもそも他者に出会えるのか。むしろ、失われた他者の記憶を糧としつつ、かろうじて自己を確保する営みにすぎないのではないか。
 このような問いは、私が素朴に詩と関わることを不可能にした。詩人は、専ら自己とのみ向かい合う存在として、本当の意味での他者との出会いを知らない。この非難に込められた認識は、様々な局面で妥当するように思われて、私の絶望を深めていった。そのとき以来、私を捕らえて離さなかった問題。それは、キリスト教と文学の間、詩と信仰の間にはなめらかな移行はありえないということであろう。移行どころか、むしろそこには断絶がある。このような認識は、「詩人」と「キリスト」を安易に併置することの対極にあったといえよう。だがそれは、私だけの考えというわけではなかったと思う。椎名麟三をはじめ、日本のプロテスタント・キリスト教。ことにそれが、キルケゴールや実存主義との関連で語られるとき、宗教と文学の間にはつねに深い溝が横たわっていた。一方でその溝が逆説的に、創作にとって実り豊かに働くことはあったとしても。
 
◆歌うキリスト
 
 年を隔て、ある程度学びを重ねてみると、しかし、そのような認識が歴史の全てを覆っているわけではないと気づく。歴史の中には、実に様々なキリスト像が登場する。ことに、詩作(ポイエーシス)を創造(ポイエーシス)と結び、原初の創造に参与した神の言葉を受肉したロゴス、キリストの口に求める志向は、一つの典型といえよう。そこからは、「詩人イエス」のイメージまでわずかに数歩を残すのみである。
 試みに、机上の書物を繰ってみる。『詩学大全』と題された書。キリスト教古典古代から人文主義に至るまでの、ギリシャ語ラテン語の抒情詩を集めたと記されている。その冒頭近くに目を引く一編。表題には「弟子たちと踊るキリストの讃歌」とある。その第三連の一部を引用する。(2)
 
恵みは輪舞を導きゆかん。/われ笛吹かば、汝らみな踊り、/われ涙せば、汝らみな嘆かん。/われらとともに一なる顧みは歌い/十二の数は踊りつつ昇る。/かくして舞踏は万事にふさわしく、/踊らぬ者は、真理を知らぬ。/・・・・・・/身をうち振りて、われとともに踊れ。/・・・・・・
 
詞はさらに続いて行くが、あとは省く。二・三世紀の無名(匿名)の詩人の手になるものである。歌いかつ踊るイエス。体現する神の真理を、声と手足の動き、まさに体全体で表現するイエス。そのようなイエス像は、その後のキリスト教の歴史ではあまり表舞台にでてこない。むしろ舞踏に伴う狂躁を避け、教会は意図的にこれを斥けたと言うべきであろう。だが、それはむしろ今日、ゴスペル・ソングや第三世界のキリスト礼拝に通じる側面を持つかもしれない。
 なるほど、踊るイエスの姿は、さすがに聖書には出てこない。福音書を読むかぎり、イエスは、主の箱をエルサレムに迎えるダビデのように踊りつつ神を讃美したりはしない。だが、歌うイエスはどうか。そもそもイエスは、ダビデのように歌ったのだろうか。そのように問いつつ、聖書のページを繰っていくと、現れてくるのは実に重要な場面である。
 
彼らは、さんびを歌った後、オリブ山へ出かけて行った。(マタイ二六・三〇)
 
これは、イエスの歌う姿を描くほとんど唯一の場面である。ユダヤ教の過越の祭り。自ら最後の晩餐を司った後、十字架を覚悟して、いままさに捕縛されるために出ていこうとするイエス。彼はそこで、この祭りの慣行にのっとり、弟子たちを導いて讃美を歌う。歌はこの祭りにゆかりの曲、詩篇のいずれかであろう。
 福音書の様々な場面で、イエスはしばしば詩篇から引用する。しかし、大抵それは、論争の文脈の中で、その思想や表現に関連して言及されるものである。それゆえそこで我々は、その言葉が詩であり、歌であることについて、あまり意識しない。唯一この箇所で、歌うという営みそのものが主題となる。だがここでも、主の受難の記述へと急ぐ福音記者の筆致は、その歌の内容を記さなかった。そのため、この箇所もまた、ともすれば読みとばされて、記憶にとどまらない。
 話はすこしそれるが、そんな読み手のこころの姿を、J・S・バッハは『マタイ受難曲』において実に印象深く形象化した。
 ここで福音記者のパートは「讃美を歌った後」まで歌い終えると、「オリブ山に出かけていった」という所で歌詞の内容に合わせて、一音ずつの上昇音型で昇っていく。ちょうどなだらかな丘を登っていくように、情景が音で描かれる。ところが、この上昇音型は、通奏低音の譜面では、先の「讃美を歌って後」という歌詞のところですでに始まっている。それは、何を意味しているか。
 ある解釈者はこの通奏低音の音型を解釈して曰く。弟子たちは、キリストの讃美の終わらぬ内から、もう勝手に歩みだしていると。ゲッセマネの園でイエスが祈りつつ闘うその時に眠りこけ、その逮捕の際には怯えて逃げ去る弟子たち。その魂の姿をバッハは予めここで描き込んでいるというのだ。とすれば、バッハはその洞察を、声ぬきの楽器の音だけで、実に深く表現したことになる。
 バッハ解釈の是非はいずれにせよ、弟子たちがこの時のイエスの歌にさほど関心を払わなかったということは、そのとおりであろう。彼らがイエスに託した望みは、興国の王ダビデの再来であり、竪琴弾きダビデの末裔ではなかった。バッハはむしろここで、弟子たちの姿を借りて、歌うキリストへの、すべての時代の無関心を描き出しているような気がする。十字架の受難を直後にひかえて、弟子たちの歩みを神に託すべく、歌い出されたイエスの讃美は深い響きを担っていたはずであるのに・・・・・。
 古代世界において、詩文、また詩人が問題になるとき、そこには常に歌や踊りがまとわりつつ存在していた。そのことは、忘れてはならない。詩人とはまず歌い手であり、そのような姿で民衆の前に現れた。イスラエルにおいても詩とはまず歌であった。イエスを詩人と呼びうるか否か、その答えは後にとっておくとして、イエスが、歌や踊りに結びついた民衆の喜びや悲しみに無関心であったとは思えない。イエスの周囲には、聖俗こもごも様々な歌が満ちていたのではあるまいか。イエス自身も、すくなくともイスラエルの詩篇を中心とした音楽の伝統の中に息づき、その中で自ら詩を歌ったことは確かである。その一事を、はじめに、まずここで確認しておこう。五千人の食事の前に、讃美の祈りを捧げるイエス。その朗唱の響きは伝統のものとはいえ、種まかれた神の民を天の父に執りなす真実の歌であった。
 
2 詩と伝統
 
◆詩的な修辞・文体
 
 詩篇をはじめとするイスラエルの歌や修辞の伝統に立つ。それはイエスの言葉のはしはしに窺うことができる。まず、そのような文体の特徴を見てみよう。
 聖書をも文学として考察することが始まるのは、近代に入ってからである。たとえばドイツの思想家ヘルダーはその著『ヘブライ詩の精神』において、詩篇や聖書中の様々な歌の本質を問い、その成立を論じた。そこで彼は、ヘブライ詩の特徴は何よりもその「形象性」にあると言う。抽象概念の代わりに、感性的で具体的なイメージを豊かに繰り広げる。それがヘブライ文学の特徴である。イエスの言葉もまた、そのような伝統に立つ。
 イエスはおそらく、自身を詩人と自覚することはなかったであろう。しかし、イエスの言葉は十分に詩的であり、詩的形象に満ちている。その形象の現れ方にも、独特な秩序がある。例えば、イエスの語りの中には二つの形象を結びつけたものが多い。「あなた方は地の塩である。/あなた方は世の光である」(マタイ五・一三以下)。「空の鳥をよく見なさい。/野の花がどのように育つのか、注意して見なさい」(同六・二五以下)。「滅びにいたる門は大きく、その道は広い。/命にいたる門は狭く、その道は細い」(同七・一三)。「すべて良い木はよい実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ」(同七・一七)。並べられた二つの形象により、主題は強調され、叙述は二拍子のリズムを与えられる。さらに、「門」や「木」の例のように、形象が単純化され正反対のものの対照へ高まると、問題の輪郭はいっそうくっきりとかたどられる。だが、これはそもそも、詩篇をはじめ二行一組の構造(パラレリズム)を持つ旧約の詩全体にあてはまることであろう。
 二拍子に混じって、さらに次のような三拍子が加わってくる。「求めよ。/探せ。/門を叩け」(マタイ七・七)。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない」(同八・二〇)。「何を見に荒野に行ったのか。風にそよぐ葦か。/しなやかな服を着た人か。/預言者か」(同一一・七以下)。三つの形象のたたみかけによって、緊張は漸増的に高まり、リズムは末尾の形象へと収斂していく。このような三つのものの提示は、「タラントの譬え」のような比較的大きな内容のまとまりをもつイエスの譬え話にも見られる。そこではつねに、初めの二つに比べて、末尾の形象が強調される。
 対照やたたみかけによる強調、印象づけは、本来、民話などの口承文芸の修辞法に通じるものである。それらとの違いは、イエスの示す比喩形象が、論争の場などで即興的にその都度形作られること、また応答として、語られた相手の態度決定を求めていることであろう。
 
◆知恵と預言
 
 イエスの言葉は、今日の文学類型や詩形式の分類で言えば、寸鉄の警句・エピグラムから、有る程度の長さを備えた寓話に至る範囲を含んでいる。それらは、紙に記されるのではなくまず語られた。今日の範疇で言えば、機会詩、即興詩に属する特徴である。
 伝統の知識を担いつつ、機会にあわせて即興的に語り出す。イスラエルにおいてそのような詩の伝統をまず担ったのは、知恵の教師たちであった。自然や人事を観察しつつ齢をかさね、王宮や町の門などで後進の教育を行ったこの人々は、いわば文化の保守的な維持者であった。イエスもまた、農耕や職人の業に結びついた天候や自然に関する知識、社会や宗教の成り立ちや変化についての観察を、まずはこの伝統から受けたに違いない。そこでまずものを見る目と関心を培われ、みずから見ること聞くことを学んだと思われる。
 良い木の見分け方、家の建て方、耕作・放牧の仕方など、実生活の様々な観察がイエスの言葉には登場する。そこで彼は、「知恵文学」の目指す知性的、教訓的な宗教心涵養ではなく、むしろ庶民の素朴な知識そのものに注目している。
 
あなたたちは、夕方には「夕焼けだから、晴れだ」と言い、朝には「朝焼けで雲が低いから、きょうは嵐だ」と言う。このように空模様の見分けることは知っているのに、時代のしるしは見ることができないのか。(マタイ一六・三)
 
論争の際などに、市井の知恵は、律法の言葉と区別されることなく、実に無造作に引用される。イエスには、そもそも聖と俗の区別など無いように思われる。
 
今の時代を何にたとえたらよいか。広場に座って、ほかの者にこう呼びかけている子供たちに似ている。「笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、悲しんでくれなかった。」(マタイ一一・一六)
 
このようにイエスは、聖書の歌(詩篇)ばかりではなく、世俗の歌(俗謡)にも等しく関心を寄せていた。しかもそれは、大人がまじめに顧みることのない子供の歌である。マザーグースのように、ときに童謡はおとなの世界の実相を鮮やかに暴き出す。しかも、それが神の真実を盛る器とされることもあるのだ。
 耳のあるところには心もある。イエスは、絶えず子供を顧み、またその言葉につねに耳を傾けていたらしい。イエスが弟子たちを叱って、子供らを妨げず、自分のもとに来させるようにと語った別の場面を思い出す(マルコ一〇・一三)。
 子供が、愛される存在として家庭の中に育まれ、また心の純真さなどを帰されるようになるのはずっと下って、一七世紀以降である。それ以前の子供像は、未熟で汚らしい半人前の存在。真面目に顧みるべき存在ではなかった。だが、子供らは、大人のように誇って自らを掲げることなく、初めから自らをとるに足らぬ者と自覚している。そのような子供の姿のうちに、イエスは神の真実の率直な担い手を認める。
 
「子供たちが何と言っているか、きこえるか。」イエスは言われた。「聞こえる。あなたたちこそ、『幼子や乳飲み子の口に、あなたは賛美を歌わせた』という言葉をまだ読んだことがないのか。」(マタイ二一・一六/詩篇八・二)
 
 聖俗の境界を踏み越え、子供のような、大人の宗教性の周辺にはみ出した者の声に耳を傾ける。それはむしろ、預言者の精神と呼ぶべきであろう。預言者の伝統は、律法や知恵の伝統と深く関わりつつ、これをその本来の精神から問い返す。場合によってはそれらの聖なる伝統と正面衝突をも辞さず、かえってこれを内から回復しようとした。そのようなぎりぎりの問いかけにおいて、預言者は、例えばエレミヤに典型的に見られるように、人間存在の現実に肉薄し、聞く者の心の奥底に訴えていく。その言葉の営みは、預言と詩の境界を重ね合わせる。イエスもまたそのような境界に立っていた。
 
3 自然と比喩
 
◆自然への眼差
 
 伝統のほかに、文学成立の根としていま一つ「自然」をあげることができる。アリストテレスは『詩学』において、詩(文学)の本質を再現(ミメーシス)と述べた。これに出発して、ヨーロッパでは詩の本質について述べようとするとき、自然とそれを写す学芸とを一般に対置の関係において考えてきたといえよう。
 一方、日本の詩は、詩形のいずれを問わず、自然に託して心情を吐露するものが多かった。そこでは、歌い手は自らを自然の風物に重ねて、その想いを述べる。詩人は、むしろ自然の側にたち、みずからの声を自然と同化させようとする。「詩人」と聞いて、我々は即、何らかのイメージを抱くが、おそらくそれはまず、このような日本の伝統的な自然詩人の姿であろう。イエスにも、そのような詩人のイメージはあてはまるであろうか。
 イエスの言葉には、沃地ガリラヤの自然や、これに密接に結びついた人々の生活を映し出すものが多い。それらは、イエスが幼時から慣れ親しんできた風物である。そこに描きだされる自然の表情は比較的穏やかである。黙示録的な天変地異の震撼、時の徴として破局をもたらすような極端な自然現象の描写はあまり現れない。それは一見、短歌的な抒情の世界に描かれる自然の相貌に通じるように見える。
 けれども、それはやはり日本の自然観とは異なるものといえよう。イエスの描く自然の事物は、「自然」の語が示すような「自ずから然るべく」成るものではない。なるほどイエスは「おのずから」実りゆく種の譬えを語った(マルコ四・二六以下)。しかし、そこに告げられるのは、自己充足的な自然ではない。むしろ、そのような「おのずから」の背後にある神の護りの手をイエスは指し示す。日本の汎神論的な自然観は彼のものではない。イエスにおいて、自然は人間とは違う独自の顔を持ち、時に人間にとって意外なまでの現れ方もする。
 聖書の自然は、それ自体としての存在のほかに、人間に語りかけられる声の担い手としての役割をになう。山々は主の声に震え動き、また喜び歌う、と述べられている。鳴動する大自然は、またその中に隠された細き声の存在をも指し示す。自然は啓示をつたえる「声」なのである。預言者は絶えずその声を聞いてきた。
 
空のこうのとりも、自分の季節を知っており、山鳩、つばめ、つるも、自分の帰る時を守るのに、わたしの民は主の定めを知らない。(エレミヤ八・七)
 
エレミヤにおいて、自然の営為は神の法を伝える声である。鳥は自然の運行を護る神の手のもとへと戻りゆく。鳥の営みに比して、エレミヤは、人間の世界の堕落を嘆く。人は勝手にさまよい、自らその法の守りの外に出てしまった。イエスもまた、等しい嘆きを語った。
 
わたしは、めんどりがひなを翼の下に集めるように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。(マタイ二三・三七)
 
雛を呼び寄せる雌鳥が、自然のうちに声なき声としてたたえられる命の法を担うように、おのが民を気遣う神の想いを担いつつ、イエスはエルサレムの民に語り続けてきたと言う。イエスの描き出す自然の事物もまた、人に語りかける「声」を持つ。
 
◆自己を指す比喩・存在の破れ
 
 エレミヤとイエス、両者の嘆きに共通するのは、自然の形象による訴えと、それによる言葉の詩的凝集である。イエスの言葉もまた、比喩の力に満ち、形象の喚起力に満ちている。
 我々はふつう比喩の指示性に基づいて、雌鳥とイエス、雛とエルサレムという並行関係を理解する。その上で、愛する者の嘆きというイエスの語りかけの持つ意味を納得したと考える。だが、それだけだろうか。比喩は、状況を一方向的に明らかにするばかりではない。映し出す形象は、なぞらえられたものを示すだけではなく、なぞらえられたものによって逆に照らし出され、くっきりと際立つこともある。
 比喩(パラボレー)とは、並べ置くこと。並べられたものの間に言葉の関わりが生じ、深い照応関係が生まれる。むしろその照応の深さが、真理を直観的に明らかにする。和歌の伝統における序詞の役割を考えてみればよい。イメージの出会いによって世界はそれぞれの側に広げられる。二つの形象を隣り合わせるということは、新たな世界の誕生に立ち会う一つの鮮烈な事件である。自然の比喩によって示されるイエスの世界、それはどのような世界か。
 村のそこここ、道の端を歩き回って餌をついばむ鶏。その餓えと困窮。往来の人馬、車、犬、危険に満ち満ちた周囲。その生存への憂い。険しい叫びをあげて雌鳥は雛鳥を呼ぶ。その全てをイエスはおのが身に引き映す。神の国の到来を伝えてきたイエスを取り巻く終末的状況が、そこには自然の比喩によって視覚的に要約されている。
 だが、この比喩はまた一方で、イエスを自然の事物の中に映し出してもいるのだ。イエスがそこで、被造物の訴えに耳をすませ、存在(息あるもの)の声(困窮)をもっとも深いところで感じていることを。
 「雌鳥」のほかにも、イエスが自身に引き比べ、心をよせた形象をいくつかあげることができる。
 
狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。(マタイ八・二〇)
 
「狐」「空の鳥」、これらの生き物には帰りゆく住処、休らぎの場があるが、人の子にはない。一見、住まいが有るか無いか、単純な比較対照がこの譬えの主眼であるかに見える。狐や鳥よりも、人の子の生存はより窮していると。それはその通りなのだが、ここで、狐や鳥の形象は、イエスによって取り上げられ、人の子と引き比べられることによって独自の意義を獲得する。隣に並べ置かれることによって、これらの形象は、むしろ人の子の生の姿に深く結びつけられるからである。
 ここではまず狐が取り上げられている。イエスはガリラヤの領主ヘロデの奸計を狐にたとえた。そうでなくとも、狐はずるがしこさ、貪欲、狡猾などを連想させる。だが、その生は雌鳥とどれほど違うといえよう。食と繁殖のための耐えざる憂い、奸策に満ちた生存への努力。その生もまた、生ゆえの困窮・破れを抱えている。ここでは、寓話にしばしば描かれる狐=悪という図式は見られない。むしろ、イエスの連帯の表明が直観的に述べられているとはいえまいか。そこでは、自然の中に浄いものと汚れたものとの区別を置く、ユダヤ教的な差別の思想は徹底的に排される。困窮のどん底で、神の真実へすがりつき、その破れのただなかからの神の讃美へとつきでていく、自然の事物はそのようなものの譬えとして描かれるのである。
 イエスによって名指されるということは、その存在のもつ破れ・呻きへの共感を語られることではないか。並べられることによって同じ側に置かれる。その共感によって、イエスが共に歩もうとする人々の実存のありさまの譬えとなる。いや、肉の身のイエスもまた自ら担ったところの生存の困窮の譬えとなるのである。「空の鳥」もまたそうである。
 
空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に収めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは鳥よりも価値あるものではないか。(マタイ六・二六)
 
イエスの言葉の中でもとりわけ詩的に凝集した箇所である。だが、そこに、見られるべき鳥とはどのような存在か。
 イエスの関心はここで、平時の穏やかな自然の中に生きる小鳥の営みへ向けられている。近代の技術社会に住むわれわれは、鳥と聞くと、そこに翼を持つものの自由であるとか、歌うものの幸福などと勝手に想像する。だが、イエスの言葉をたどるとそこにずれがあることに気づく。鳥というイメージから花鳥風月の風雅を導くこととは違い、ロマン主義の描き出すセンチメンタルな自然観とも異なる。種まき、刈り入れ、収穫と、イエスはもっぱら経済活動について語っている。そのような意味で鳥という存在は、たえず餓えに脅かされ、危険と隣り合わせの存在である。餓えと危難に晒された何の守りなき存在が、憂いなく暮らしている。しかしそれはその営みの背後に神の守りのあってのことと、イエスは語る。
 「空の鳥を見よ」と言われて、当時人は何を思い描いたのであろう。そもそも鳥は、一般にどのようなイメージを喚起したのか。「わたしは見た。見よ、人はうせ、空の鳥はことごとく逃げ去っていた」(エレミア四・二五)。「わが民の中には逆らう者がいる。網を張り、鳥を捕る者のように、潜んでうかがい、罠を仕掛け、人を捕らえる」(同五・二六)。自然の描き方にも伝統がある。預言者の描く鳥の姿は、人間の罪や欲望の犠牲となる存在である。人はそれを羨んで見ることはない。さらに、その姿は、腐肉を喰らう厭わしい姿であったりする。「この民の死体は、空の鳥、野の獣の餌食となる。それを追い払う者もない」(エレミア七・三三)。そのようなイメージの伝統をふまえると、イエスは、むしろ人々に嫌われている存在をすすんで取り上げているように見える。
 ルカ福音書をみると、そこにははっきりと「空の鳥」の名が「からす」とあげられている。いくら小鳥を愛する者とはいえ、からすを好むことはまれであろう。それは当時も同じだったはずである。イエスははっきりと、ふつう顧みられることのないものに、ぜひ目を留めるようにと命じている。これは「野の花」にもあてはまる。それは「明日は炉に投げ込まれる草」の代表としてあげられているのであるから。(3)
 そのように人から嫌われ、顧みられぬ存在よりも、人間は幾倍も神の恵みに浴する存在であるとイエスは語る。だが、これらの比喩をイエスは単に、比較による教示という修辞の観点からのみ述べたのだろうか。比喩の形象はその用を終えたら捨てられてもかまわない。そうではないであろう。そこにはむしろ、一般には共感を寄せられぬ動植物の生き様への実存的共感が響いてはいないか。イエスは実際に空の鳥、野の花を愛した。それらの形象にはむしろ、イエスの心を寄せた「地の民」の姿が直覚的に結びつけられている。イエスが、神の子の栄えを捨てて降りゆき、連帯し同化せんとする「罪人」の姿を、それらの形象は映し出す。「空の鳥」の比喩は、さらに、異邦人にまで拡大される可能性をも含むのである(マタイ一三/エゼキエル一七)。
 最も顧みられぬものへと降りゆく神の謙卑。イエスの地上の生涯は、そのような「神のへりくだり」を体現するものであった。かくして、自らの使命を示しつつ描かれる自然の形象もまた、謙遜の高ぶりをいっさい持たず、低きものに自己を同化していく彼の決意をそのつど映し出す。パウロは、自然の事物が虚無から贖われることを願って共に呻いていると述べた(ローマ八・一九以下)。そのような「被造物の呻き」を、イエスの描く形象は先取りする。むしろパウロの方が、その呻きをこのようなイエスの譬えの中にまず聞いたのではなかろうか。
 
4 対話の世界
 
◆共感と連帯
 
 イエスの譬えの中には、とっさには理解に窮するものが多い。人の子の到来を「盗人」の侵入になぞらえる(マタイ二四・四三)など、イエスは自己を「とんでもないもの」に引き比べてはばからない。「不正な管理人」の譬え(ルカ一六)、なども、そのような「とんでもない」譬えの典型である。これを耳にして、高潔な人はまず「不謹慎な」と眉をひそめる方が通常であろう。このような譬えは、周囲で隙を窺っていた敵の非難を身に招いたであろうし、賛同者の内にもそのために離反した者があったと思われる。
 今日、解釈にあたって、それらの形象が文字通りに受け止められることはない。それらの譬えは、形象の「ある」要素のみを強調すべく採られたものと説かれる。例えばこの二例については、それぞれ、再臨の時の予期されぬことを示し、救いを得るための必死な姿を評価するために選ばれたイメージであると言われる。それはそのとおりであろう。だがこれらの形象は、そうした「まともな」目的に効果的に仕えるという、修辞上の理由からのみ用いられたのか。訴えかけるための衝撃的な形象としてのみ選ばれたのか。
 自然の形象において見てきたように、譬えには、その形象へのイエスの関わりが二重写しになる。形象のあるところには心もまたあるのである。ここでも、そもそもそのようなイメージの選択に、それらの形象の持つ実存の破れへのイエスの共感を率直に見てはいけないだろうか。罪そのものが推奨されるのではない。そのような生存の形しか持ち得ない存在をイエスは絶えず目に留めていたということである。それは、神殿で語るべき言葉を持たなかった「取税人」や、捧げる金をほとんど持たなかった「寡婦」に注目するのと同じである。負の実存を負う者に目をとめ、その声とならざる呻きを共に負う共感がそこにある。先に見た「子供」の歌に耳を傾ける姿勢もまたそれに他ならない。
 比喩の形象を選ぶ際に、イエスは、イスラエルの宗教的伝統が自然や事物の中に見てきたような浄・不浄、聖俗、善悪の区別をあらかじめたてることをしなかった。その観点から見ると納得のいくことが多い。策謀家ヘロデを狐になぞらえつつ、一方で狐の生存の姿を自己に引き比べる事例を先に見たが、他にも同じような語り方を認めることができる。
 イエスは、律法学者・パリサイ人のパン種に用心せよと語りつつ、他方で神の国の成長を「パン種」の働きになぞらえる(マタイ一三・三三/ルカ一三・二〇)。この場合、パン種が危険なものとされるのは、イスラエル宗教史の伝統的観念から容易に理解できる。パン種を入れないパンのイメージは、出エジプト以来、除酵祭の行事ごとに繰り返され、つねに、聖なる共同体の不純な混入物の比喩として用いられてきた。そのいかがわしいパン種が、一方で、神の国のすみずみまで奥深く浸透し、これを何百倍にもふくらませ、成長させる神の働きになぞらえられる。これは尋常なイメージではない。だが、それは、女たちのように実際の生活の中でパン種を扱う人々には実に鮮やかに訴えかける。わずかなパン種によって、約五〇キロにもおよぶパンが膨らんで焼き上がる。その非常識な大きさとともに、人の升目を超えた神の働きの偉大さ、不可思議さが心に焼き付けられる。イエスの譬えには、自然や事物の並外れて非常識な像が現れて、それが状況全体を別な次元に移しかえる。その典型的な場面である。
 だがここでも、パン種の持ついまひとつの意味は払拭されたわけではない。声高ではないにせよ、宗教の正統的伝統からはずれたものが、神の国の奇跡に関わると宣言される。それは、もともと誇る立処なく、それゆえ素直にその事実に与る者には喜びとなろうが、伝統の物言いを盾にとる者には躓きとなり、反感を引き起こす。神の国の成長を述べる際に、この譬えを用いることによって、イエスは「パン種」の持つ宗教的いかがわしさを自らに引き受ける。そこには、そのいかがわしさの告発を受ける人々との連帯が、やはり語られているのである。
 「パン種」の譬えには、「芥子種」の譬えが対として結ばれている(マタイ一三・三一/ルカ一三・一九)。撒いた種は生長し木のように大きくなって、空の鳥が枝に巣を作ったという。ここでも、人の目には不可思議な神の国の成長が言い表されている。その際に、伝統的に「異邦人」の譬えとして用いられた「空の鳥」の形象が添えられる。なるほどそれは、諸国民を受け入れる神の国の繁栄を表す。だが、一方で、この国の主流と自ら任じる人々から猜疑と嫌悪の眼差しで見られてきた人々を前面に描き出すことでもある。
 イエスのイメージには、伝統の形象の持つ意味の領域を揺るがし、その価値判断をいったん停止させるような働きがある。「毒麦」の譬えもまたそのようなものといえる(マタイ一三・二四)。今日、我々は、ここで言う毒麦を、教会のような形作られた共同体の不純要素と見なし、これを内部から指摘しその粛正を促すものと考える。だが、その非難はやはり、当時の宗教的基準から外れる多くの要素を含みつつ形作られつつあったイエスの共同体に、まずは外部から向けられたものと見なすべきであろう。イエスの集団は「毒麦」をも一緒くたに入れてしまう「いかがわしい」ものであると。この集団の外縁にあって判断に迷っていた人々、また隙をねらっていた人々には、彼らの基準からすれば「罪人」に他ならぬ存在の混入を意に介さぬイエスの振る舞いが不徹底に思われた。イエスに厳格な粛正を勧め、自らがその任の肩代わりをと申し出る人々に、イエスはこの譬えを語る。毒麦と見えても麦であるかもしれない。それは、イエスの心が誰と共にあるかを自ずから語ることとなった。そのような連帯の表明は、逆に、そのような「いかがわしさ」を閉め出そうという人には対しては告発の問いとなる。自らを良い麦と任ずる者がかえって毒麦であるかもしれないではないか。このようにイエスの譬えは、連帯を語りつつ、これを損なう者への告発の問いかけをも語り出す。
 
◆二人称的世界
 
 イエスの譬えには、「神の国の譬え」と言われるものがある。そこでは、神の本意の行われる所としての神の支配が具体的に描かれる。多くの羊を危険な野に残しおいて、迷ったただ一匹を探しに行く羊飼い。債務者の悲痛な叫びを憐れんで多額の借金を免じてやる主人。仕事にあぶれた者を雇い入れるために夕方近くまで幾度も広場に出向く雇い主。「放蕩息子」の譬えに描かれる、失われていた息子のもとに遠くから駆け寄る父。これら、イエスが示そうとする神の姿は、いずれも失われた存在を顧み、これに近づこうとする態度において、人間的な期待を遙かに凌駕する行動をとる。良識や、伝統の行動規範にのっとって常軌を逸したその描写は、修辞的な誇張表現などではなく、「神の国」という本来語り得ぬ事柄の性質にそのまま由来する。このように神の働きの姿を指し示すイエスの言葉には、そのまま、顧みられぬ者をどこまでも顧みるイエスの姿勢が二重写しになる。これらの譬えの現実性を実質的に支える保証はイエスの人格そのものの内にある。イエスによって顧みられた人々には、これらの神の姿は切実に身にしみるものとなった。彼らは、「放蕩息子」をはじめ、イエスの譬えの内に登場する癒され抱きとられた者の形象をおのが身に引き写す。
 だが、人の升目を超えたこの神の接近の様は、そのような現実に自ら接することを欲せず、むしろ自らの良識や、宗教的伝統を恃む人には癪の種となったはずである。汚れた豚飼いに身を落とした息子に自分の方から駆け寄り、何ら宗教的浄めの儀式も行わず抱き寄せ、受け入れる父。神とその業の途方もない描写は、律法という社会に通用する宗教言語のあるべき尺度にいちいち衝突する。これは、そのような宗教言語の常套句によって社会全体をまとめようとする志向を妨害し、そのような言葉による支配の秩序を破壊する。「放蕩息子」の譬えに登場する二人の息子のうち、長兄の憤りがまさに、そのようなイエスの言葉にふれた者の反発を表している。
 イエスの比喩は、その言葉の示す共感・連帯に驚きつつ喜び応える者と、その事態の並外れた状況におのが慣れ親しんだ世界の脅威を感じて嫌悪・敵意を覚える者と、相反する応答の分岐点となる働きをする。そのような「異様なもの」「驚き」「衝突」をイエスの言葉は含んでいる。そのような言葉の働きは、詩学の分野では「異化作用」と言われるものである。ブレヒトの社会劇や現代の不条理劇などに用いられるその手法は、観客・読者に安易な感動・共感、いわゆる「浄化」を用意せず、むしろ彼らにテーマを巡る考察を促すように働く。イエスの譬えのもつ異様さは、まさしくそのような応答と行動を呼び覚ます働きをする。(4)
 絶えず隙をうかがう敵対者に取り囲まれる状況で語られたイエスの譬えは、問答から対決にいたる対話の二人称的世界を存在領域(エレメント)としている。「良きサマリヤ人」の譬えを巡って、イエスに問いかけ論争を仕掛ける者が逆にその問の根底を覆される状況が述べられている(ルカ一〇)。永遠の命を得るための方法論を問いただす律法学者は、イエスの問い返しに思わず律法の「いろは」を応えてしまう。「まず神を、さらには隣人を愛すること」と。さらに「知っているなら行いなさい」と促されて、律法学者は、子供扱いされた大人ように憤る。「では隣人とは誰のことか」と。彼の固執するのはどこまでも神学の言葉である。これに対し、祭司とレビ人とサマリア人の三例を挙げてイエスは問う。「この三人の中でだれが強盗に襲われた者の隣人になったか。」問題は神学や実践論ではない。隣人は認識の果てに明らかになるのではなく、自ら隣り人になることによってしか見いだせない。律法学者は自己の問いかけに潜む根本的な錯誤に、あるいは少なくともこれに対するイエスの揶揄に気づかざるをえない。
 「あなたも行って同じようにしなさい」(ルカ一〇・三七)。イエスのこの言葉に対する応答は、あくまでも受け取る者の自由に任されている。だが、この譬えは強盗に襲われた者に対する祭司、レビ人の態度を描くことによって、イスラエルに通用する律法の言葉の破綻を描き、そのような言葉を乗り越える新しい言葉の秩序を指し示す。その一方で、律法の言葉によって社会からはじき出され、宗教的「いかがわしさ」のレッテルを貼られる者に対し、イエスが共感・連帯を貫く姿が二重写しになる。そこに語り出される世界に、律法学者は、自ら隣人となる課題を受けとめるか、あるいは旧い言葉の秩序の専制をあばくこのような言葉に敵対するか。いずれにせよ応答には、いかに行為するかが残っているだけである。
 日本の詩の伝統は、事物の世界に自己を投影する。イエスの言葉においては、このように事物の世界から人は問いかけられる。イエスの形象は、聞くものの価値観をまず大いに揺るがす。語りかけられた者は、その問いかけに含まれた価値の逆転にまずどのように応答するか、態度決定が求められてくる。汝は如何になすかと、イエスはさらに呼びかけてくるのである。このようにイエスの語りの世界とは、聞いた者の立場が明らかになる二人称的な世界である。それは、抒情詩の一人称的世界ではなく、叙事詩の三人称的世界でもない。むしろそれは、対話劇の二人称的世界であり、いかなる応答の場所に立つか、形象が問いかけてくる「もの・がたり」の舞台である。
 
5 低きにくだる「神の詩」
 
◆神の謙卑(へりくだり)の言葉
 
 ドイツの思想家ハーマンに次のような言葉がある。「彼は、我々を彼の姿に則って創った。我々がこれを失ったので、彼は我々自身の姿をとった。子供らのように肉と血の体を備え、泣き、回らぬ舌で喋り、語り、読み、詩文を練ることを、本当の人の子のごとく学んだ。彼は我々を模倣したが、それは、我々も彼を模倣するよう鼓舞するためだった。」堕罪によって創造(ポイエーシス)の詩(ポイエーシス)が失われたとき、神は人となった。受肉(誕生)から言葉を学ぶ生へ。ハーマンは、イエスの生涯を人間の言葉のもとへの「神のへりくだり」として描く。赤子の喃語にはじまりついには言葉の匠へ。しかし、秀でた詩人としてもイエスは生涯「神の大いなるへりくだり」を身に負い続けたと、ハーマンは言う。(5)
 イエスにとって成長とは、時代の言葉の乱れをまのあたりにし、これに基づく虐げの状況を見つめ続けることであった。彼は、そのような虐げのもと、破れ砕かれた者の姿にたえず心を寄せた。先に、イエスの採り上げた形象を辿ったとおり、自然はそのような暴虐の状況を映す鏡であった。創造の詩が失われ、被造物の呻く声を彼は聴いた。
 イエスの生い育った世界とは、律法遵守の推進によって、言葉の倒錯にまで至った世界であった。律法が全体的に浸透した世界。他の言葉を語ることが許されず、皆が一律に語るように求められる世界。そこでは一律に語ることによって、平気でむごい言葉が語られる。イエスの弟子たちもまた、そのような律法の言葉から自由ではなかったことを、福音書のそこここに窺うことができる。このようにイエスの生きた世界は、律法という破れのない言葉の横行する世界であった。そこにはむしろ、そのような言葉のもとではじき出され、敗れ去った人々の呻きが満ちていた。それは、もっと深い意味で、言葉が破れていたと言うことである。そこでは、そのような一律な言葉の持つ破れ、そもそも言葉が破れうるのだということに気づくことこそ、真理への開けとなったのである。
 知恵や預言の伝統を嗣いで、イエスは自ら譬えを用いて語った。神の国の譬えは、本来言い表しがたいことを平易に語り出すためのものである。支配的な宗教言語によって神の本意から閉め出されてしまった人々の心を、具体的な形象によって今一度神のもとへ取り戻す。それが、彼が心したことであった。だが一方で、譬えは事柄を表しつつ、同時にまた隠す。形象とは、示しつつ覆う言葉であるからだ。イエスが形象を用いたのは、まず聞く者への配慮であったが、それはまた戦いの手段ともなったのである。
 イエスは、自らの譬えが「種まき」の業であると心し、自分の思いがどう伝わるかは、自らの決定を越えていると自覚していた。譬えを聞く者にとって最も相応しい答えは、その真の説きあかしの決定的瞬間まで謎のように心に懸かったままであるだろう。そこには、神その方が真理の閃光を発するまで待つ、思いやりとゆとりがあった。「聞く耳を持つ者は聞くがよい」と、イエスは繰り返し語った。あるいは、自らの働きを「新しい酒」になぞらえたあと、「だが人は古い酒の方が良いと言う」と、おのが立場をユーモアの笑いにくるんで差し出す余裕があった。
 一方で、形象はイエスの戦いの手段であった。それは、イエスの周りに群がって隙を窺う者たちの前に謎として立ちはだかり、決定的な言質を与えないという働きをも果たした。
 ナタンが「君がその男だ」と語ったとき、ダビデはナタンの言葉が自己を指す譬えであったことに気づいた(サムエル下一二・七)。「良きサマリア人」の譬えを聞いた律法学者もまた、そこに同じ響きを聞いたであろう。「あなたがその行為の主人公である」と。これはかなり決定的な言葉である。だがここでも、イエスはまず相手の魂の辿るべき方向を述べているのであって、性急に自分から対決を求めてはいない。いずれに行為するか、決断は律法学者のもとに残されている。聞き手に自由を確保する。それがイエスの語り方であった。非難し、告発の隙をねらう者に対してすら、イエスは相手の言葉にしばし同行し、その言葉を受け止めて同じ土俵に立つ。おのれを敵視する者の言葉にまでへりくだる、そのような意志をそこに見ることができる。しかし、そのような言葉の醸す自由こそは、一律な言葉の信奉者には耐えられないことであった。
 そのようなイエスの言葉の構えにいらだつ者たちの言葉はますます硬化し、究極の対決へと策謀はめぐらされていった。こうして、ついには十字架の出来事が備えられるに至る。それはまさしく言葉の受難の出来事であった。
 
◆砕かれた「神の詩」・神の人間讃歌
 
 言葉がどこまでも自己を貫こうとするとき、言葉は自ら呪縛に陥っていく。律法の言葉を貫き、主義主張の言葉を押し通そうとするとき、言葉はそれ自身の全体性志向の専横に飲み込まれていく。他の言葉を許さない。言葉は全世界を自家籠中のものにしてしまう危険に常につきまとわれる。ヒューマニズムであれ、民主主義であれ、あるいは情報社会であれ、言葉が破れを知らぬ所ではイデオロギー化が生じ、人は一律言語の専制のための道具となる。人をはじき出しつつ、自らもはじき出される。そのとき人間の言葉は、罪の言い換えである。
 冒頭に述べたように、一編の詩作品は、詩人の世界・宇宙の十全な表現を追求する。その価値は、作品としての言葉の自己完結性にある。だがそれだけでは、詩は破れを知らぬ人間の言葉の代表以外の何ものでもない。詩人が自己の言葉で覆い尽くした世界から、時代の一律な言葉のもとで呻いている他者が、本当に他者として歩みだしてくることはないであろう。詩人的な存在はやはり罪なのか。
 詩は、なるほど人間の言葉の純化された結晶を形作る。しかし、それは人間の言葉からの純化ではない。人間の言葉である限り、罪を免れてはいない。だが、そのような人間の破れを知らぬ一律な言語、閉鎖的な言葉の前で、砕かれたいま一つの言葉があった。十字架の言葉。それは、あらかじめ何かを指し示す譬え・徴ではない。人の心をまとめてどこかへと動員する旗印ではさらさらない。そのような閉鎖的な言葉により自ら砕かれることによって、一律で完璧に見える言語がそれ自体破綻していることを、その言葉は決定的に示した。そのようなものとして、十字架の言葉は、つねに我々の前に立つ。そして、遺した様々な譬えと結びつつ、我々に問いかける。我々にとって、真の言葉の破れとは何か、世界を閉ざしてしまう我々自身の言葉のもとで、我々はどんな言葉を生きるべきかと。
 ハーマンは「神は著作家」と語った。神の言葉の自己完結を自ら拒み、人の言葉のもとにへりくだった「神の詩」イエス。「天地の主である父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを知恵のある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適ったことでした」(マタイ一一・二五)。そのように、神を讃美したイエス。彼は、「神の人間讃美」の歌であった。砕かれた神の歌。破綻した人間の言葉との連帯を志した神の詩が、ほかならぬ人間の言葉によって途絶されたとき、その出来事に直面して、破れた人間の言葉が破れたそのままに一つの歌となり、讃美の響きは呻きのどん底から立ち昇る。十字架の言葉は、神の詩イエスの歩みの果てに立つのである。
 
注 (1)田村隆一「四千の日と夜」(「現代詩手帖」一九七二・一)一三〇頁。
(2)Summa Poetica. Griechische und lateinische Lyrik von der christlichen Antike bis zum Humanismus. Hrsg. von C. Fischer. München o.Z., S. 18.
(3)大貫隆『神の国とエゴイズム イエスの笑いと自然観』(教文館 一九九三)六六頁。
(4)宮本久雄・山本巍・大貫隆『聖書の言語を越えて』(東京大学出版会 一九九七)一一三頁以下。
(5)ヨーハン・ゲオルク・ハーマン『書簡集』第一巻(一九五五)三九四頁。


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