エヴァンゲリウム・カントライへのリンク
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詩学の部屋
★「啓示と応答としての「うた」
★1997年度の大学院における講義「詩篇の世界」の内容をまとめたものです。
1 讃美とは?
人間の存在するところ、「うた」が存在しないことはない。独りであれ、交わりにおいてであれ、人の営みにはどこかしら「うた」の息づく場所がある。散文の時代といわれる現代、もっぱら醒めた意識が、世俗化され価値の平面化した社会を治めているように見える。だが、やはり「うた」はその生存領域(エレメント)を保ち、脈々と生き続けている。
「うた」の存立はそれ自体自明なことであるがゆえに、その生まれ来る源をあえて問うことは、思想の営みとして「うた」そのものの営為とは区別される。「うた」の営みそのものが、その根源の存立を保つべく、その純粋なあり方への問いを含むことは、皆無ではないが希である。そのような数少ない問いの現場の一つに賛美歌など宗教歌の分野があるといえよう。讃美とは何か。人はなぜ神をたたえるか。自覚の有無はあれ、歌う者はつねにそのような問いに答える者となる。また、現代にもなぜ新しい賛美歌が生み出されていくのであろう。その過程に少しく関わった者として、その動態にいまいちど注目してみたい。ここでは賛美歌そのものの現状を問うのではなく、そもそも讃美の精神について、「うた」の生まれ来る原初の姿について考えてみたい。
主に向かって新しい歌をうたえ。
聖徒のつどいで、主の誉れを歌え。
イスラエルにその造り主を喜ばせ、
シオンの子らにその王を喜ばせよ。
彼らに踊りをもって主のみ名をほめたたえさせ、
鼓と琴とをもって主をほめ歌わせよ。
主はおのが民を喜び、
へりくだる者を勝利をもって飾られるからである。
旧約聖書の詩篇の最後には、歌うこと、ほめたたえることそれ自体を主題とする詩が続く。歌集全編の掉尾に、その書の精神を言い表す部分である。この詩篇第149編もまたその一つ。ヨハン・ゼバスティアン・バッハがそのモテット第1番に用いていることでも有名である。「新しい歌を主に歌え。」新たなる讃美が求められている。「新しい歌」とは何であろう。新しい詩篇か。それとも今日では、新しい賛美歌を指すものと解すべきか。だが、そもそも「新しい歌」とは年月の推移と共に次々と生まれ来る新曲の類を指すものか。それはもっと、人間存在の全体的な更新に関わるものではないのか。
この詩篇の要となる言葉、それは、繰り返される「喜び」という表現である。イスラエルはその神を喜び、神もまたその民を喜ぶといわれている。神と人との向かい合う関係。それぞれが相手に真正面から語りかける「我と汝」の関係が、そこに示唆されている。そのような関係はどのようにして生じるか。この問に答える鍵は「造り主」という言葉であろう。創造者なる神と被造物なる人間の関係。そこには、聖書の神観、人間観の根幹が示唆されている。そして、歌はまさしくその根元から基礎づけられている。
いまひとつ、ここで「新しき歌を主に歌え」と求められるときに、「踊り」「鼓と琴」が動員されていることが注意を引く。続く詩篇第150篇は、ほとんど楽器名を挙げることのみによって成り立っているほどである。音楽や舞踊、それは聖書の人間観にどのような位置を占めるのか。「すべて息ある者よ、神をほめたたえよ。」これもまた詩篇によく出てくる言葉である。声は、拍手とともに、人間の最初の楽器である。そこには、創造論と関連して、讃美をする存在の身体が示唆されている。
このような問題に、人はどのように取り組み、答えようとしてきたのか。本稿では、これまであまり顧みられなかった思索の系譜に光をあてつつ、考察していくことにする。
2 創造と実感のことば
「詩(ポエジー)は人類の母語である。造園が耕地に−、絵画が文字に−、歌が朗読に−、比喩が推論に−、交換が取引に先立つように。深き眠りこそは我らの祖先の休止。また彼らの動きとは陶酔によろめく舞踏。七日の間、熟考のため黙し、あるいは驚きのため声もなく彼らは座していた。― ― そして、ついに口を開いて、−飛びかける言を語った。
感覚と情念が語り、解するのは形象に他ならない。形象にこそ人間の認識と至福のすべての宝は存する。創造の初めの突発、またその出来事の記述者の最初の印象。― ― 自然の原初の出現とその最初の享受とは、「光あれ」の言葉において一つに結ぶ。これにより事物の現存の実感が始まる。
ついに神はその栄光の感性的啓示の掉尾に、人間という傑作をもって冠したもうた。彼は人間を神的な形姿(かたち)に創造した。― ― 神の形象(かたち)に彼は人を造った。創造者のこの決定は、人間の本性(自然)とその規定とのこの上なく縺れた結び目を解き放つ。盲目の異邦人たちは人間が神と共にする目に見えぬ相を認識した。覆われた身体の形姿、頭部の顔、また両腕の端、これらは、我々の纏いゆく目に見える図式である。だが、それは元来、我々の内なる隠れたる人の人差し指に他ならない。−」1)
18世紀北ドイツの思想家ハーマン(1730-1788)の初期の代表作『美学提要(びがくのくるみ)』(1762)からの引用である。詩や歌の根源性の指摘。それは、ハーマンの思想を一貫している。『美学提要』は、この主題をまず「感覚と情念」、「実感Empfindung」、「形象」という言葉で語りだす。ここには、前章で提起された問への示唆が充ちている。
人間の原初の言葉は、ここで全存在的な感動の応答として描かれている。その最初の迸りは、力強さのゆえにむしろ逆説的に、七日の沈黙の後のヨブの発語になぞらえられる(ヨブ記3の1)。創造における神の言葉(dabar)、その突発的な様相を、応答の言葉もその動態において映し出す。それは、すでに讃美の根源と究極を描き出している。2)
続いて、きわめて簡潔に人間存在が定義づけられる。人間は、まず「感覚と情念」によって特徴づけられる。「思考」によってではない。そのような感性的・身体的能力の強調に応じて、人間の精神的財産のすべてが「形象」の内に成り立つとされる。
人間の認識と活動の形象性は、ここでは創造論によって神学的に解釈されている。神の像(imago Dei)としての人間の創造。それは人間を「我と汝」の関係に立つ者として、「顔と顔とを合わせて」相見える存在として呼びだすことである。母親の手に抱かれる赤子のように、それぞれの笑む姿が相手を喜ばす。「喜び」の呼応関係がそこに基礎づけられた。ハーマンはそこに「神のへりくだりKondeszendenz/ Herunterlassung」を指摘する。それは、創造論のみならず、現実の一切をキリスト論から見るものといえよう。神と人間との関わりは、つねに神の側からの下降(人間への自己贈与)として捉えられる。創造の掉尾として、人間の創造は、神の二重の「へりくだり」を言い表す。自然の創造自体が、すでにその最初の「へりくだり」であるからだ。自然の創造は、人間との関わりを目指す神の下降の第一歩である。
「光あれ。」創造の「原初のことば」がもたらす光のうちで、初めて事物は感性的感受に対し現前するものとなる。自然は、人間の認識能力への神のへりくだりに他ならない。「形象」とは一般に比喩・記号を指すものであるが、ここではむしろ、人間と自然が、同じ器官をもつものとして存在的に呼応しあうことを示す徴である。ハーマンは、人間と自然の連続性を指し示しているのである。「自然は感覚と情念を通して働く。」「それは、われわれのすべての認識が感覚的・形象的であるからだ。」ハーマンにとって人間の認識器官は、自然の相似物(アナロゴン)である。自然の原型的・形象的特性は、人間の内なる自然(本性)との照応関係におかれる。創造において基礎づけられた自然の詩的・形象的な原構造は、人間の暗喩的・形象的能力に対応すると言われるのだ。そしてこの対応もまた、創造への神の決断に基礎づけられる。
「創造主に対する人間のこの類比(アナロギー)は、全ての被造物にその内実と刻印を授け与えるものである。全自然界における至誠と信頼は、この一事にかかっている。この理想、すなわち見えざる神の似姿が我らの心性の内に生き生きと脈づくほどに、我らには、神の慈しみを被造物の内に見、味わい、しかと眺め、手をもて触れることがいっそう可能となる。人間の内に記されている自然のいかなる印象も、〈主は誰であり給うか〉という根本真理を想起させるのみならず、この真理を保証するものである。」3)
ここでは単に自然の認識が説かれているのではない。むしろ、自然との交渉を喜びと述べ、そこに創造の目的が示唆されている。創造とは「祝福」なのである。「神が造ったすべてのものを見られたところ、それは、はなはだ良かった」(創世記1の31)。人間は神が祝福を告げた被造物の直中に、自らもまた嘉せられた存在として立つ。そもそも「光あれ」という最初の言葉自体、世界が闇と混沌の支配する無秩序の中に喪われてしまってはいないことを示している。人間は、自らが計り知れぬ運命と偶然に弄ばれる存在ではなく、創造の神の良き意志と計画の内にあることを知る。これを身をもって味わうことこそが、造られた者の口に讃美の生まれ来る根源なのである。
この意味において、自然は神の「ことば」であるといわれる。自然は人間への「神のへりくだり」を映し出す詩的な原言語として特徴づけられる。自然の事物、その言葉ならぬ言葉もまた「ことば」である。事物の星位的配置の直観、オトマトペ的響きによるリズムの写し取りから、ついには歴史の出来事の時代を越えた呼応・響きあいにの発見(予型論Typologie)にいたるまで、ハーマンは「ことば」(記号)の内に含めている。これらの形象は感覚と情念を通して働く。この働きの内に言葉はその起源をもつ。このように述べるときハーマンは、自然の事物や身体の言語的特性を指し示している。事物の「ことば」は人間の身体において反響し、その感性的な能力において型どられる。すなわち「ことば」はまず、事物に接する人間の身体的実感の内に深く根を下ろしているとされるのだ。
そこからこう言うことができよう。人間は全存在的に、被造物の「ことば」を身に担い、万物の鼓動を反響させ、神の創造の「ことば」に応答する。人間は神の祝福に「讃美」を持って応える存在なのである。ほめたたえ、舞い踊り、楽器を奏しつつ、全存在を応答の言葉として神の前に出でゆく。人間がそのように自然の「ことば」を担い、また用いるとき、人間は全存在が讃美となり、楽器となる。
「主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった」(創世記2の7)。実に、人間自身が一つの楽器、一本の笛である。人間の体を包み、通りゆく大気。人間は内外(うちそと)に、空気に触れて存在している。そしてそのような接触の境界に「ことば」は住まい、「うた」が生まれる。表現主義の彫刻家バルラッハの作品に、「歌う人」という有名な作品があるが、これをみると歌の成立する場所が、声帯から肺にかけての閉ざされた空間ではなくて、むしろ、ふくよかに開いた唇から上向いた胸の前方上方にかけての広々とした空間であることがよく分かる。ステージに立つ歌手は劇場全体の空気を慈しみ抱くように手をさしのべる。それはなにも芸術家のみが味わえる経験ではない。我々は「息のあった」同士の交わりを喜ぶ。美しい合唱はその極致である。一方、満員の通勤通学電車の中では「息の詰まる」思いを味わう。これらはみな我々の身体が、存在の状況を映す言葉であることを示している。これらは、聖なるものにふれた太古の共通感覚の名残を示していると言い得よう。
このように空気中に通うものの命を、古代人は「霊spiritus」の語で言い表した。「霊」は「風」また「息」でもある。喜びふるえる大気、その躍動。神の息を吹き込まれ、その霊の働きを実感して、喜びの震えが全存在を貫く。「風たちぬ、いざ生きめやも」と。詩篇の詩人たちは造られた者に注がれる霊感(inspiratio)を指し示しつつ歌った。「全て息ある者は神をほめたたえよ」と。そのような喜びは個に閉ざされることなく、共同体を満たし、再び被造物全体へと還っていく。詩篇第148篇では、太陽や月星、さらに霰、雪、山々、木々と、万象の全てに「神の名をほめたたえよ」と呼びかけられる。宇宙全体が喜びのリズムで充たされる。
このようにハーマンの言葉は、前章で提起された「讃美とは何か」という問に、多くの答えと示唆を与えてくれる。ハーマンは、神によって事物の内に刻み込まれた自然の「ことば」を強調する。しかしそれは錬金術的な神秘的自然学の提唱ではない。それはむしろ、近代世界における自然や事物の概念的取り扱いの持つ問題性を指摘するための手段である。自らが世界の仕組み解明の唯一の機関であると主張する啓蒙主義の理性に対し、それは辛辣な仕方で疑義を呈することになるからである。「責が(我々の内ないし外の)いずれに存するにせよ、自然の内にはトルバート(乱れに乱れた)詩句、また〈切リ刻マレタ詩人ノ肢体〉の他、何ものも我々の用のために残されていない。それらを拾い集めるのは学者に、それらを解釈するのは哲学者に、それらを模倣するのは −あるいはより大胆に語って― ― それらを組み上げるのは詩人に、各々委ねられた職分である。」4) ホラティウスの詩を引用しつつ、ハーマンは近代の自然世界を、「切り刻まれたオルペウスの体躯」に準える。啓蒙の合理主義的理性のもとで、外的自然の隷属化が進められる。それは同時に人間の内的自然の枯渇をもたらす。創造に込められた根源の語りが聞き逃され、自然の実感は顧みられず、詩篇詩人の言葉は忘れられる。そのような現実認識のもと、ハーマンは喪われた原初のポイエーシス(創造=詩)を指し示し、最初の応答を回復することが詩人の使命であると説く。身体をも含めた全存在をもっていまいちど「新しき歌を主に歌え」と。
3 文学史・類型研究?
ハーマンのこのような思想は、次の時代にどのように受け継がれていったか。ハーマンに若くして接し、その出会いの感激から出発したのが、ヘルダー(1744-1803)である。だが彼は、この根源の「うた」をむしろ文学の歴史的系譜の観点から取り扱おうとしたといえよう。『古今の民族の習俗に対する文学の影響』(1778)などの表題に窺えるように、文学を共同体や人倫の脈絡に秩序づけ、その歴史的展開を跡づける立場をとる。彼は、『ヘブライ詩(ポエジー)の精神』(1782/83)において、聖書をも文学の観点から扱おうとしたが、そこでも、聖書の記述は人倫と歴史の問題と結びつけられていく。この大冊第2巻冒頭の「ヘブライ詩の起源と本質」を見ていこう。
ヘブライ文学の起源としてヘルダーは「形象と情感」を挙げる。この出発点は、彼がハーマンにいかに負っているかを明らかにしている。だが、彼はそこからすぐに、人格化、寓話、伝説、文学(マーシャル、うた)とその発展の段階をたどっていく。
外から流れ込む「形象」に「情感Empfindung」が刻印を与える。そこに表現が生まれる。これに与る「詩の霊(ゲニウス)」の働きについては、すでに前章で見たとおりである。この霊の働きにより、詩は「神と人との共労」として生まれる。その最初の形は「命名と表出」である。アダムの命名行為を想定するものであろう。
続いて、ヘルダーは「人格」の関与の問題を扱う。人間の心の本性は全てを自己にひきつけるけれども、類比(アナロギー)ゆえに他者の感情へ自己を置き換えることも可能となる。そこに「道徳」の萌芽が生まれ、神と人との関わりも双方向のものとなる。社会と宗教の成立である。さらに第3段階としてヘルダーは「寓話」を置くが、これはレッシングなど時代の文学状況と関わるものであろう。描かれる動物の振る舞いは、理性に訴える形象となり、文学は知性と啓蒙に与るものとなる。知性の関与はさらに「箴言」「謎」を生み出す。これに続いて第4段階に氏族や民族の詩的な「伝説」の段階が来る。
本来的虚構、すなわち文学は、次の段階に至って初めて生じる。そこでは、既知の特徴的な形象をまとめて未知な特徴的形象を創りだすに至る。ヘルダーは、預言者的幻とマーシャル(箴言・警句)に短さと品位を備えた一種の詩を指摘し、その後初めて文学類型(ジャンル)としての「うた」に言及する。
「いまや文学の第2の類型、〈うた〉が始まる。音楽が作り出されるやいなや文学は新たな勢い、歩み、良い響きを得るようになった。形象の語りは最も自然な位相として、単に心臓や呼吸の収縮と弛緩という並行法を持っているにすぎなかったが、音楽と共に、それらはより高い響き、測られた抑揚、それどころか、ラメクの歌に見られるように、韻律さえ持つようになった。以前は息にすぎなかったものが、いまや鳴り響く音、踊り、合唱の歌、情感の弦楽合奏となった。音楽が作り出されたので、歌曲が、またきっと踊りが生まれたのである。
全て音楽的なポエジーは、より高い情感の一つの形であろうとする。それらが形象を歌うとき、これらは情緒の形によって命を得ようとする。こうして形象の語りの誇らかな歩みは、より高い和声(ハーモニー)という類型へと引き上げられる。さて、歌曲を支配する情緒の種類がいずれかによって、その〈うた〉、和声もまたつけられる。驚嘆すべき讃歌、燃える頌歌、柔らかな喜びの歌曲、悲しみの哀歌は、どれもみな同じ調べでうつろうわけにはいかない。それをなすのが〈うた〉の下位区分であるが、しかしそれはその主概念を換えるものではない。キーナー(悲歌)、喜びの歌曲、シール(愛の歌)、テヒラー(讃歌)、またさらに楽器の種類によっても分けられる歌の種類は、すべて歌(ミズモール)のうちにふくまれるが、これは、音楽のつけられる終結部やいくつかの部分の名前である。[...]要するに、内容や対象は〔歌という〕類型に何も加えず、扱う仕方がそれをなすのである。」5)
ここで「うた」は形象以上のものとして、音楽とはっきりと結びつけられている。「うた」は、人間の身体のリズム形象を越えた、「情感」を映すものといわれる。それは一つの流れを持った全存在的な命の動き、しかも芸術的な整いを備えたものとして捉えられる。楽器や踊りにおいて、人間存在が自然の「ことば」に反響する、その仕方が豊かで多彩なものになる。「和声」としての情感の一体性の把握は、ヘルダーの本領といえよう。
一方でヘルダーはここで、「うた」にある種の区別のあることを認めている。それぞれの歌曲には、それに相応しい「情緒Affekt」が存在し、これが狭義の「うた」を決定すると述べている。しかし、その区分は「うた」を別なものに変えるほど決定的な要素とは見られていない。「情感Empfindung」は、それ自体、内なる韻律と構想を持っている。そしてこれを映す「うた」こそが、旋律を形作り、構想を歌の全体へともたらすとされる。情感を担った本来の詩篇であれば韻律に欠けることはない。ヘブライ詩、ことに初期の舞踊歌、合唱歌は、技巧的には稚拙であっても、その内なる響きゆえに飛ぶような自由なリズムを持つといわれる。「そこで音楽や言葉に求められたのは技巧ではなく感動であった。[....]モーセの歌やミリヤムの歌、アラビアの空のもと太鼓の響きをもって彼らのエホバを頌える、救われた幾千の群衆の合唱曲。どこにこのような天翔る歌があるか。それは後世のイスラエルの歌の模範となった。/こうして形象の語りと〈うた〉とは、ヘブライ人の詩(ポエジー)の二つの正門である。それらは目と耳のための詩であり、この二つによってそれらは心を和めたり、あるいは荒立てたりする。[....]詩の二つの類型はヘブライ人にとって聖なるものであった。形象の語り手の最大なる者は預言者たちであったし、この上なく崇高な歌曲は神殿の歌であった。」6)
以上、ヘルダーにおけるヘブライ詩の理解と評価を簡略に辿ってみた。そこには、すでに今日の聖書の文学類型研究の萌芽を指摘することができる。神と人との対峙する場で、詩の霊に仲介され、啓示への応答として詩は生まれる。そう述べるとき、彼はヘブライ詩の根源の動的特性に突き動かされている。だが彼は、ハーマンのようにその一点に集中するよりは、むしろこれを出発点として、文学の起源を民族の精神的展開の中で歴史的に跡づけようとする。また発展段階で、「情感」に裏打ちされた「うた」の類型としての一体性を述べつつも、そこに下位区分としての種類の違いがあることにはっきりと目をとめている。そこにはすでに、今世紀の詩篇研究の先駆けとなる一契機を見ることができる。
現代の詩篇研究の祖と言われるのはヘルマン・グンケルであるが、彼はこのような立場を基本的に引き継いでいる。グンケルは、ヴェルハウゼン学派の普遍的宗教史の適用に反対して、個別宗教の個性的発展を重要視した。イスラエル宗教という個性的なものを内面から理解しようとするその志向において、グンケルと「宗教史学派」はロマン主義を介してヘルダーにつながる。またその方法においても、彼の「形態史」研究は、詩篇の「生の座Sitz im Leben」を指摘し、詩篇の「下位の」文学類型の分類・確定に努めるものであった。それによって、彼は今世紀の詩篇研究に決定的な方向付けを与えた。
グンケルはその遺著『詩篇序論』(1933)にこう述べている。「古代イスラエル人はその直観の力と情感の深みにおいて秀でいるが、ギリシャ人などと比べて思考の論理の才に欠けていたようにみえる。」7) これなどは、ハーマンやヘルダーが形象や情念に注目する、一つの変奏といえよう。彼はさらに言う。詩篇の詩は、文体形式上、例えば、理由付けの「故に」を欠く。そのため「鐘の音」のように、個々の音が力強く偉大な響きを持ち、しかも一つ一つがそれぞれに響くことになり、ただ事柄に通じた者のみが詩人の形成の意図に従って旋律を聴きとることができると。グンケルもまたある種の感動から出発する。だが賛嘆はその裏面を持つ。不明確な暗示や形象、情緒の誇張・強調は、他方で研究の障害と見られている。今日遺されているテキストにおいて、編集者の意図においてある程度の類型のまとまりを見て取れる部分もあるが、隣り合うものの関連すら不明のものも多い。それゆえ「詩篇研究の課題は、個々の歌の間の関係の再発見」にあるとされる。
まず最初にこう俯瞰した上で、グンケルは詩篇研究の究極的目的を「詩の種類全体とその歴史の叙述」においた。類型の確定のために彼は次のような立場を採る。類型は素材それ自体の特性から生まれる。ゆえに個々の詩の根源的本姓を追求すれば、自ずと様々な類型に分化していくと。これは、ヘルダーの指摘する「情緒Affekt」の違いに通じるといえよう。類型は生の様々な契機によって分けられる。これが詩篇の「生の座」であり、グンケルは礼拝、呪文、歴史歌などをあげつつ、類似のモチーフを集めていく。
グンケルは最終的に詩篇の代表的類型を、讃歌、民の嘆きの歌、王の詩篇、個人の嘆きの歌と感謝の歌、その他の小類型に帰す。だが、後代には、類型間に混淆と多様性が生じる。このような類型の歴史的推移について彼はこう述べている。「初期の時代には個人がその個性的な信仰を示しつつ登場することは比較的少なかった。後代になると当時存在した類型を修めつつ、そのうちに個人が独自のものを語りだそうと試みた。すなわちここに、個々の詩人の創造力と宗教についても語られるべき場所がある。そしてこの詩における個性的なものの入念な取り扱いこそ、とりわけ個々の詩を説明しようとするときに、我々の最も重要な課題である。」8) 神の前に一人立つ魂という預言者の個性において、いわゆる「宗教詩」が成立した。グンケルはこれこそが詩篇の本当の宝であると述べている。
このように究極において詩人の個性を評価するグンケルに反対して、むしろ共同体の視点に固執したのがモーヴィンケルであった。モーヴィンケルとその「祭儀史」的方法は、詩篇研究のいまひとつの核として重要である。彼は、いわゆる王の詩篇といわれる類型のみならず大多数の詩篇の背景に、新年祭における「ヤハヴェの即位式の祭り」を見た。彼は詩篇の「生の座」としての祭儀を重要視し、祭儀における神と共同体の正しい秩序の追求こそが詩篇の主題であると主張した。その際彼は、再び普遍的宗教学の視点に拠って、多産などの祝福の獲得を目指して周期的に生の更新を計る祭儀の営為をイスラエル宗教に重ねる。そのような祭儀共同体の信仰告白として「祈りと詩篇」があげられる。詩篇は祭儀行為全体の内に位置づけられるのである。9)
グンケルとモーヴィンケル、「形態史」と「祭儀史」、この二つの立場と方法は、その後の詩篇研究をそれぞれに決定づけたといえよう。今日、A・ヴァイザーの『詩篇注解』等を見ると、詩篇の「生の座」としての祭儀(ヤハヴェ契約祭)の位置づけは揺るがぬものとなっている。一方で、全てを「ヤハヴェの即位式の祭り」から基礎づける仕方の行き過ぎも明らかである。詩篇詩人の個性の意味と役割も再び顧慮されるようになっている。だが、総じて今日の詩篇研究の状況を見ると、言葉は尽くされているが、どの方向で讃美の起源と本質を尋ねる問が提起されているのか、素人にはとても分かりにくいものになっていると言わざるを得ない。個々の詩篇の文学類型の確定の作業など、手続きは精緻にはなったが、なかには定説が定まらず、その境界に拘泥している感を拭えぬものもある。
以上、ヘルダーから近現代聖書学の詩篇研究へと、聖書の歌をめぐる状況を跡づけてきた。だが、今日の景観を前にして根本的な疑念がおこってくる。観念論的な普遍的宗教史であれ、ロマン主義的な個性史観であれ、歴史研究の限界と言いうるものである。ヘルダーにおいてはなお響いていた「応答のうた」への呼びかけは追求の過程でしだいに薄れていく。なるほどその学問の実証的成果の内には、個々の詩篇の理解のために有意義なもの、傾聴すべきものが多い。しかし、争われている議論の全体は、知識のためのものであって、それ以上ではない。そこから、新たな讃美への感動が生まれ来ることは希であろう。「新しい歌」が生まれるためには、ハーマンが指し示したような「実感Empfindung」の響きこそ必要ではないか。その原初の響きが、人間存在をいまいちど震撼させることが不可欠なのではないか。神と人、その根源の出会いが今日なお人間の魂を掴むならば、例えば「うた」における個と共同体の問題もまた、全く別な様相で現れてくるだろう。
4 危機と沈黙
出エジプト記15章に、いわゆる「海の歌」と呼ばれる歌が記されている。これは、紅海(葦の海)の奇蹟に際し、モーセが民とともに歌ったものとされる。
主に向かってわたしは歌おう、
彼は輝かしくも勝ちを得られた、
彼は馬と乗り手を海に投げ込まれた。[...]
これは、「デボラの歌」と並んでイスラエルの最も旧い歌の一つに数えられている。先立つ14章にはエジプト軍が波にのまれて海の藻屑と消え去ったと記されている。その直後に置かれているので、この歌が、この出来事を神の勝利として歌ったものであることは容易に推察される。だがよく読んでみると、この詩が実は二つの異なった内容によって成り立っていることが分かる。海においてエジプト人に対しヤーヴェが勝利したこと。そして、もう一つ、砂漠を経て約束の地カナンに導かれること。この詩は、これら二つの部分に分かれた構造を持つ。そこから言いうることは、この詩が地の文、すなわちエジプト軍滅亡の散文による記述とは元来異なった伝承に属するものであり、おそらくは、その元の形を変えずにここに収められていることである。
そのような観点からこの箇所をもう一度見直してみると、記述の上で興味深い特徴に気づく。この「海の歌」には、14章の散文部分に記されている、いくつかの要素が欠けている。神の送った強い東風で海が分かれたこと。イスラエルが乾いた海の底を渡ったこと。水が左右に垣となったこと。水が戻ってエジプト人を呑み込んだこと。これらは全く記されず、ただ、神の息が激しい嵐を招き、そしてエジプト人が「海に投げ込まれた」と述べているだけである。
海の水が左右の垣となるという14章の当該の散文部分(22・27節)は主としてエロヒストに帰されるが、それは、ヨシュア記24章やネヘミヤ記9章などの、祭司的編纂者や歴代誌編纂者に筆致に重なる。これらの比較的新しい散文資料は、海が分割して、水が左右の壁となり、イスラエルが海の底の乾いた地を歩いたという内容を記している。さらには、詩篇66篇、106篇、136篇の内容もむしろこの散文伝承に近い。「海の歌」だけが孤立しているのである。それはこの歌の古さの証であるとされる。
F.M.クロスは、神話的な周辺世界からヤハヴェ信仰が確立されてくる歴史的文脈においてこの詩を考察している。10) その後半の記述からうかがえるように、この詩はヨルダン川を渡り約束の地に入ることをも含め、「越える」という主題で統一されている。そこには、カナン神話に定型化されている海や川の神話的表象が背景として暗示されるが、これについては何ら言及されない。ラス・シャムラ出土のウガリット文書には、海の怪物との宇宙創世的な戦いと、これに勝利して王の地位を確立するバアルの神話が記されている。例えば詩篇89編、93編などはこうした創造神話がイスラエルにおいてどのように歴史化されたかを示している。詩篇77篇16節以下は、創造神話と出エジプトからカナン征服に至る出来事を統合する一つの典型といえよう。
これらに比べると「海の歌」が、いかに寡黙であるかがわかる。むしろ「語らない」という点で傑出している。イスラエルの信仰が、本来歴史的な出来事に基づいており、その叙事的な伝統に立つものであることを、このカナン的世界観の沈黙は明確に示している。この詩はさらに、二重の意味で沈黙している。紅海の出来事の散文伝承に比べてもこの詩は寡黙であるのを、先に見た。例えばここに、詩の記述内容から散文のそれへ、いわば奇蹟の強調の過程としてイスラエル宗教の発展を跡づけることができるかもしれない。あるいは伝承の揺れは事実を巡る情念の揺れと説明されるかもしれない。それはそれで傾聴すべきであるが、この詩の寡黙さはむしろ原啓示の聖痕といえないであろうか。歴史記述は神の啓示を過不足無く記そうとする。そのとき歴史家の叙述は能弁である。しかし、「海の歌」の持つ沈黙は、むしろ出来事との出会いの現実をそのまま映しだすものといえよう。危機が乗り越えられた一瞬、神の勝利をまのあたりにして、息をのむ。その激情の凝集した一瞬。これが感動のほとばしりを隻語にとどめる。「うた」の本質はそこにある。感動のもたらす言葉の簡潔さというより、啓示に触れた者が全存在的に圧倒されるその現実がそのままに言語化されるのである。ヤハヴェの業を描写する寡黙さ、それは言葉に尽くせない現実の示唆である。語り得ないことについては沈黙する。それは啓示に触れた者の真の応答の態度でもある。
この観点から、つぎにもう一つ旧約聖書の比較的後期の詩をとりあげる。記述預言者エレミヤには、「告白録」と呼ばれる一連の詩が遺されている。11) これは、ヨブ記をはじめ、グンケルの言ういわゆる個性的な詩篇に対して多大な影響を与えた。
ここでも主題は「危機」である。それは預言者の実存の直中に置かれている。預言者は神と民との間に立たされた存在である。両者の狭間に立たされ、そのいずれにも自己同一を許されぬ。人間的尺度では計り知れぬ、時として預言者の人間性に衝突する仕方で到来する神の現実に直面して、エレミヤの生はその基底を奪われ、その信仰的実存の裸を暴かれる。彼は、傷つき抗い、沈黙する。「告白録」はその赤裸々な姿を包み隠さず書きとめる。エレミヤにとって信仰の真実とは、己が破れを糊塗しない誠実さを言うからである。
人は常に「安心(セキュリティ)」と保証を求めて止まない。信仰の生においても、人は自らを信じる能力ある者として確保し、そこに自恃を基づかせようとする。かくして人は、己を神の側に立つ者として自負し、自らを神の栄光と二重映しに見て、審かれるべき世から区別する。そこには形の上で宗教の隆盛も見られよう。しかしそれは、神につくすべき真実から無限に遠い。神の言を託され、エレミヤが暴かねばならなかった民の現実とは、そのような倒錯と欺瞞の姿であった。しかもそれは、他人事としてではなく、突きつめれば預言者自身の実存の実相として露呈せざるを得ない。ここに彼に託された神の言の、一切を透徹する真実としての所以があった。神の真実は、それに直面するならば己が破れを否応なしに直視せざるを得ない、そんな仕方で彼にもたらされる。そこに彼の生の最大の困難があった。己を民と同一視することが許されず、しかも神の側にも立ちえぬ。預言者の孤独は、彼の告白に深い響きを与えている。それは、人類史に個性の響きを湛える最初の詩となった。上っ面の「安心」を絶たれた預言者の内面の消息を記す「告白録」において、震撼された預言者の魂を抱きとる神の真実(「誠実」)もまたはっきりと姿を現す。人間的な「安心」とは異なる真の「確信(セルティテュード)」とは何か、人は預言者とともに学ばされることになる。
「告白録」の言葉は、類型としては「個人の嘆きの歌」に近い。だが、そこに突如として讃歌の響きが覗くことがある。ここではその理由を考えてみたいのである。そのような典型がエレミヤ書20章11-13節に見られる。この20章は不思議な章である。神の言という堅き立処に立ち、揺るがぬ信仰の力強い姿を示す預言者エレミヤ。そして逆に、外面的窮迫や内面の葛藤ゆえに絶望と無力な反抗へと堕ちこむ人間エレミヤ。この両者の交錯する姿はここにも著しい。苦難の直中にあってひるむことの無かった力強い預言者の姿(1-6節)とはおおよそ正反対の姿を彼の告白(7節以下)は描き出す。神に訴えるエレミヤの言は衝撃的でするあるが、反抗に至りつく預言者の無力は覆うべくもない。加えて、14節以下の自己を呪う絶望の深さはエレミヤの信仰の実存の底に開いた深淵の深さを窺わせる。全体を個人の嘆きの歌から感謝の歌への移行と読む試みもなされるが、ここではそれを採らない。それでは14-18節がここに置かれたことの説明がつかない。
冒頭から堰を切って迸るようなエレミヤの訴え(7節)。沈黙の中に湛えられていた失望と嘆きがここで一気に爆発した観がある。エレミヤは「欺かれた」と神に訴える。これはもう反抗である。彼の担わされた警告と威嚇の言葉は、ただ嘲笑と愚弄を、そして有形無形の迫害を彼に招くばかりだと。ただ、彼の苦しみはそのような迫害の事実よりも、むしろ神と人との間に立たされその間に引き裂かれる務めの故である。その困難は専らただ神からのみ来るのである。「心中に燃える火」のような神の言を担いきれぬという預言者ならではの苦悩は、ただ神に訴え続けるという撞着の途しか知らない。
そこに突如としてエレミヤの讃美が置かれる(13節)。その転調はあまりに唐突である。11-12節に神への信頼がたてなおされていく過程を読みとることもできよう。しかしそれにしても、ここでは彼の内の自らなる変化は問題ではない。神の言の力に出会う現実が彼を支える。しかも銘記すべきは、ここでは、告白録の他の箇所に見られるような(12の5、15の19)、神の直接の介入を示す言がないことである。なおかつ、この手放しの讃美の生まれ来る源はどこにあるのか。エレミヤの内にではない。続く苦闘の内にあって、彼の魂の力はすでに汲み尽くされ、蓄えは底をついていた。14節以下の再反転は、人間としての現実をなお偽らず提示するエレミヤの真実に基づいている。
ここでは詩篇文学との響き合いが重要である。前章で述べたように、詩篇は通常、神殿の祭儀において用いられた。エレミヤの預言は、契約の当初の精神を喪いもはや根拠を欠いた当時の神殿祭儀に対して、たえず辛辣な批判の言葉を語ってきた。いわば讃美の実体はすでに民の現実の内には喪われていたのである。エレミヤはここで、ただ独りヤハヴェの民の存立を担わされる。(それが再び祭儀という形を取るかどうかは別として)神と民とを結ぶ喪われた本来の精神の回復に向けて、いわば神の霊の通り路の役割を与えられる。こうして彼は、ただ独り担うこととなった讃美の伝統よってかろうじて支えられ、いわばこの務めによって自ら助けを得るのである。
一方、讃美の伝統もまた、エレミヤの個性において新しい現実の中に生かされる。共同体の歌唱と個の祈りの齟齬、亀裂が明らかとなるところ、人間的には嘆きの響きすらかきけされそうな、絶望に口をつぐむ他はないところで、むしろ人は讃美の言葉そのものによって担われる。人の立つ状況の如何に関わらず、神は神であるがゆえに讃美を受けるに相応しい。頌める(loben)者の立場、能力、状況が讃美の是非を決するのではない。それは生き(leben)、愛し(lieben)、信ずる(glauben)ことの言い換えである。創造主にして歴史の導き手なる神は、全て命ある者、息ある者の讃美を受くべきである。これは讃美の真髄である。そこにおいてエレミヤの内面は沈黙している。しかしそれはここでやはり黙している神に向けて激情の凝集した一瞬であり、沈黙という負の形ながら対話の生起する一瞬である。エレミヤの全存在は、まさに語り出される神の決定的な啓示(神自らの「うた」)に応えるべく待機する、いわば、重唱部をいまや歌い出さんとする歌手の「口の構え」となる。
同じ沈黙を、例えば32章の「畑を買う」という記事にも見ることができる。エレミヤの讃美(17-25節)の直後には沈黙がある。「国の滅亡が迫り土地も財産も意味が無くなるとき、神、汝は土地を相続せよと言われる」(25節)。自ら執行した行為預言の意味が分からぬ預言者の内面は問と抗議に充ちている。しかし歌い出された讃美は彼を神の前に沈黙させる。その激情の充填された空虚を、今や救いの告知が満たすのだ(26節以下)。エレミヤ20章では、神の応答は記されず、「告白録」は沈黙をもって終わる。だが、この絶望の言葉も、自己に閉ざされた沈黙ではなく、負の激情の内に、全存在を神に投げかける問の凝集と、神に向けられた沈黙が込められている。
かくしてエレミヤの讃美は、14節以下の人間存在のどん底の響きと共にヨブ記の中に象られることになった。「人は理由が無くて神をほめたたえるだろうか」というサタンの挑発に対して、ヨブは全存在をかけて応える。「主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな。」讃美には一切理由が要らない。そこでサタンはもうお手上げである。
5 「新しき歌」
人間が危機において、神の救いの出来事に直面する。そこに讃美の応答が湧き起こる。あるいは、危機の直中にあってすら、人は讃美に全存在を委ねることができる。いずれにおいてもその「うた」を支えるのは、人が神の現実に直面して、息をのみ、胸を打つその現実である。激情の凝集したその一瞬の沈黙は、いまだその現実の見えぬ危機の直中にあっても人間を支えることができる。讃美とはそのような沈黙に裏打ちされている。この意味において、讃美は啓示への応答であるとともに、啓示へと開かれた激情の凝集として、神との出会いの現実を先取りするおおいなる沈黙の身振りともなる。バッハの受難曲で、キリストの死を告げる福音記者の言葉の響き止んだ、あの一瞬の沈黙のことである。
ハーマンがヨブの沈黙をもって指し示したのも、根源の「うた」はそのような激情の凝集から発せられるということであった。讃美はそのような沈黙につねに裏打ちされていると言うことであろう。「新しき歌」とはそのような実感を通り抜けて、改鋳された「新しき人」の讃美なのである。ハーマン自身は先立つ1759年、旅の途上ロンドンの孤独のどん底でそのような讃美と沈黙の消息に出会っている。彼が徹底してキリストを指し示すのはその出来事の現実に突き動かされているからだ。彼において、来るべき「新しき歌」の詩人は、キリスト自身をおいてはありえない。「彼は、我々を彼の姿に則って創った。我々がこれを失ったので、彼は我々自身の姿をとった。子供らのように肉と血の体を備え、泣き、回らぬ舌で喋り、語り、読み、詩文を練ることを、本当の人の子のごとく学んだ。彼は我々を模倣したが、それは、我々も彼を模倣するよう鼓舞するためだった。」12) 堕罪によって創造(ポイエーシス)の詩(ポイエーシス)が失われたとき、神は人となった。受肉(誕生)から言葉を学ぶ生へ。ハーマンは、イエスの生涯を人間の言葉のもとへの「神のへりくだり」として描く。赤子の喃語にはじまりついには言葉の匠へ。「神の大いなるへりくだり」を身に負った詩人イエスの生涯こそが、自然の事物における「へりくだり」を映しだし、これを回復する原型とされる。ハーマンの讃美は専らこの一点に向かう。
詩篇の源は個人か共同体か。讃美の生まれ来る現場に臨むならば、そこから語りうるのは、「うた」を産み、伝えるのは共同体でも個でもないということであろう。そのような原理的な対立ではなく、エレミヤにおいて見たように、むしろ両者を、危機の相において包みつつ支える現実が大きく与っている。プロテスタントの賛美歌はルターに基礎を置くが、彼にあっても、伝統の信仰共同体から隔てられた危機意識が、個人の沈黙の深淵と結んで、「深き淵より」に代表される讃美を産んだ。彼の賛美歌は、「われら」という言葉で共同体の信仰告白を表現したものが多い。それに比べて、敬虔主義以降、個人の情緒がますます前面に押し出されていくとき、それは賛美歌の退行であると説かれる。しかし問題はそんなに単純に割り切れるものではない。パウル・ゲルハルトの自己表白もまた、その切実な心情の吐露のそこここに、息をのむ一瞬をふくんでいる。激情が沈黙として一瞬凝集する時は、神と人の間に生起するだけではなく、個と共同体の境界にも生まれるといえよう。であるからこそ、個人の経験が「われらの」告白として霊の息を共にすることが可能になる。近くは、ボンヘッファーの遺した詩がそのような途を歩んでいる。
日本語で新しい賛美歌を。そのような試みにいささかの関心を持ち続けている。シラブルの多い日本語ゆえに内容の薄まってしまう翻訳歌。それは伝統の讃美歌集の担ってきた基本的な問題である。日本的・私的抒情ではなく「われらの信仰告白」に相応しい公同的な内容を。説教にあてはまる聖書的・教理的な歌を。民衆の言葉で、すなわちもっと口語化を。いろいろな提案を耳にする。13) 個人の霊想歌よりも礼拝歌の充実をという要請には、個人か祭儀かという旧い問の変奏を見る。だが根本的な問題は、未熟な伝統の中で日本の賛美歌が、曲と歌詞いずれが先かの問、また翻訳や韻律数えに終始している段階にあることであろう。そこでは賛美歌の充実への求めは、おもに上から知性的に示されている。讃美は神の現実に直面して、全存在が震撼させられる沈黙のどん底から発せられる。そこに立ち戻ったのは、そのような啓蒙の風景の中にいまいちど歩み出すためである。14)
註
1) ハーマン『著作集』第2巻、1950年、197/198頁。
2) T. ボーマン『ヘブライ人とギリシャ人の思惟』(植田重雄訳 新教出版社)90頁以下参照。本稿では、「言葉」はあくまで「伝達」に与るものとして考察する。それは「意味」あるものであり、「異言(舌語り)」を示唆するものではない。
3) ハーマン、同、206頁。
4) ハーマン、同、198頁。
5) ヘルダー『ドイツ古典叢書版著作集』第5巻、1994年、977頁。
6) ヘルダー、同、979頁。
7) グンケル『詩篇序論』、1933年、1頁。
8) グンケル、同、30頁。
9) モーヴィンケル『宗教と祭儀』、1953年、115頁以下。
10) F.M.クロス『カナン神話とヘブライ叙事詩』(輿田勇訳 日本基督教団出版局)161頁以下参照。
11) エレミヤ書11章18節‐12章6節、15章10‐21節、20章7‐18節など。
12) ハーマン『書簡集』、第1巻、1955年、394頁。
13) 『礼拝と音楽』(日本基督教団出版局)44号(1985)、63号(1989)、83号(1994)、97号(1998)などを参照。
14) 筆者の試みとしては、岳藤豪希『教会合唱曲集II』(いのちのことば社)88頁、91頁、また同CD『いつくしみ深き』(ナミ・レコード WWCC-7266)を参照。また、同編『新作賛美歌集・第一集』(名古屋エヴァンゲリウム・カントライ)第1、14、16、23、27曲を参照。
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