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『大塚欽一詩集』を読む
                        --解説

 

虚人称による無の抒情―大塚欽一の詩の世界


 大塚の詩を読むとき、その医師としての生業を意識せざるを得ない。小児科医として余人の与れぬ経験をし、内に溢れ来るものを書き留める営み。詩人はそこから歩み出した。「その日 病室の窓辺に一際大きな紫陽花が一輪/雨に濡れて定めなく揺れていた/六月」(「紫陽花」)。大塚詩の原点を示していると思う。逝った児に手向けられた一輪の花としての作品。医師として状況を静かに受けとめつつも、手の施しようのない仕方で喪われていく幼い命への哀悼の念が伝わってくる。横に並べてみたい作品がある。二〇世紀ドイツの表現主義詩人ゴットフリート・ベン。その処女詩集『死体公示所(モルグ)』の「小さなアスター」という一編。水死者を解剖する場面が描写される。「縫合のさい、/{…}/胸腔に花を包んでやった。/飽きるまでその花瓶の水を飲むがよい!/しずかに憩え、/小さなアスターの花!」(生野幸吉訳)。この医師もまた死者に花を手向ける。職業の一致が二人の詩人を同じ行為に導く。だがその表現の意図は正反対。ベンのグロテスクな写実からは、取り澄ました時代・社会への悪意、シニカルな笑いさえ漏れてくる。

 意味は正反対とはいえ、詩の構造が重なりを示すとき、状況が表現にもたらす機制の重みを考えない訳にはいかない。評論集『美神(ミユーズ)に木(み)乃(い)伊(ら)れた詩人たち(I)』で、大塚は自らベンを論じている。ベンは「詩という虚構の世界に己を没入させることによって、この深い虚無感を抱きながら、心の危ういバランスを保って生きた」。「西洋的〈分別知〉の持ち主である彼は結局生涯この〈虚無感〉から脱出することはなかった。ただ純粋詩という芸術美に眼を逸らせただけだった」。これは『静力学詩』に至るベンの行程を適切に述べているが、一方で大塚詩の存立の地平を自ら確認するようにも響く。最後に大塚は、ベンの生涯はニヒリズムという思想の帰結点であると述べ、「それは真摯な存在論的思索のある到達点でもあり陥穽でもあるように思われる。それは同時に現代を生きる私たちにとっても切実な問題である」と結ぶ。それは大塚の詩的探求を導く問いでもあったろう。

 幼い死を記した詩人は、そこから何処に向かったか。虚心にその作品を読み進むとき、第二詩集に至ってやはり驚きを覚える。『非在の館』で、大塚は形而上的な問いを前面に据えた思想詩人として登場してくる。詩はどれも、生の意味や存在の根拠を尋ねる問いを正面に据えるものだが、語や形象の選択には自ずから価値判断が担わされている。「死の台座」「歴史の闇」「深い谷を見下ろす絶壁」「幻の階段」「がらんどうの部屋」「己を包み込むだけの空間」「暗澹たる宇宙」「虚の宇宙」「虚の時間」「底知れない深み」「無限に落下」「精神の暗渠」と、主題や対象として選ばれる言葉は無や否定に傾いている。詩人は存在の、否むしろ無の探求へと出立した。眼前の生を救い得ない無念を、無の渉猟をもって拭おうとするかのように。その蒐集は、まさしく無の標本箱といった趣である。

 丹念に描いた細密油彩画のようなその標本を分類整理するならば、(1)在るもの(対象)が、現前していない(感官・意識に映らない)ことを謂う「不存在無(ouk on)」。(2)在るべき、かつ在りうるはずのことが、現実には存在しないことを謂う「非存在無(me on)」。(3)そもそも在りはしないし、在りうるはずもないことを謂う「徹底的無(nihil)」。(4)徹底的無から存在を導きだす存在を超えた無者(創造者)を指す「超存在無(super-essentia)」を指摘できよう。西洋形而上学の歴史にはそうした概念が交錯する。大塚の詩は、それら無の概念を鱗粉のように纏い、それらの間を微妙に揺れ動く光彩を形象化する。「非存在無」を軸として、周囲を巡り行く否定の宇宙を描くのだ。言葉を「存在の家」と述べた哲学者がいたが、大塚の詩集の表題(「非在の館」、後には「仮象の庭」)は、無の布置(星位)を示そうとするかのようだ。詩集の意図をそこに窺うことは的外れではないだろう。

 一方で、否定や無を辿りゆく意識や思考には「錯覚」「妄念」「幻」「かすかな目眩」「無限への憧憬」「郷愁」「狂気」「衝動」「幻想」「奇妙な違和感」「長い夢」などの言葉が繰り返される。「かすかな予感」に「想像は果てしなく膨らみ」ゆく。無の切迫に身を晒しつつ、在るべきものを願い、探求し、挫折していく、その行程が繰り返し丹念に描かれる。初めから挫折を余儀なくされた探求。非存在無と挫折意識の交錯するところに、仮象の宇宙と思惟との「入れ子」構造を見ることができるだろう。妄想を紡ぎ出す(spinnen)者は、幻視した巨大な蜘蛛(Spinne)の形象に見つめ返されている。ミクロコスモスとマクロコスモスが交接して摩擦の生じるところ、夕焼けが夢のように美しく照り映える。「夕映え」は、無に向かう詩人の審美意識の収斂を映し出す像として繰り返し現れる。

 以降、詩人は『方形の月』『存在のはるかな深みで』『ハンモックに微笑みながら』さらに『仮象の庭』と、存在論的な問いそのものを形象化したような詩篇を次々と繰り出していく。第二詩集で描いた設計図を巧みに形象化しつつ可能性を空間的・時間的に繰り広げたものとして、大塚の詩のその後の展開を跡づけることができよう。海を臨む懸崖の彼方に「巨大な日輪」を見つめつつ、観念の幕(「蒼穹」)に映し出される仮象の「貌」をくっきりと形にとどめようとする。意識の境界の向こうには、虚の「森」が姿を現し、彼方に蠢く影がこちら側に迫り来る。「対象」と意識との合わせ鏡の間で幾度も反射・屈折する像を重ねて、幾層もの宇宙が現出し、豊かな詩言語の世界が生起する。そのような言葉の営みを創造(poieo)と呼ぶならば、ここにはまさしく一人の詩人(poet)がいる。

 その造形志向には、生の日常性の意味を存在論的な解釈で究めようとする思想の動向として、一つの時代状況が覗いているし、「神の死」を語る実存哲学の影響もまた顕著である。人間は、自らの存在を予め自覚して存在するがゆえに、現存在として存在するもの一般から区別される。そのような超越性のゆえに、また実存(=脱自存在Ex-istenz)と呼ばれ、「世界内存在」として、世界のなかで自己を歴史的に構成していく。「非存在」すなわち「いまだ無いもの」として、在ることの究極に対峙してゆく。そのような「死に向かう存在」としての現存在の解釈は、あくまでも前了解としての自己の存在の限界づけであって、直ちに悲観を意味しないのだが、大塚の詩の「夕暮の情景」にはむしろ強烈な悲哀が映し出される。そこには、世紀末から二〇世紀前半に及ぶ西欧で実存哲学等の醸し出した時代気分が色濃く反映されている。一方で、「事実の世界(法界・華厳)」と「想いの世界(「私」の思念による関係づけ)」との祖語から生じる仏教的な「苦」の連鎖を読み取ることも可能だろう。近年の詩「蒼穹」(『仮象の庭』)の暗示するある種の悟りは、そのような境界を想わせる。「わたしたちは瞬間瞬間それに対峙し/それから見つめ返されている/すべての色をひとつにしてしまう澄んだ深いまなざしで」。「存在」や「無」また「無意識」という西欧的な道具立てにもかかわらず、伝統の「儚さ」や「滅び」の美学と読み直すとき、大塚の詩世界はより身近になる気がする。

 大塚の詩の語り手についても触れておかねばならない。その詩の語りがほとんど三人称であることには誰でも気づく。物語の世界は三人称の世界である。その語り手は、希に自ら一人称として登場し評言を語ることもあるが、普通は叙述の背後に隠れている。だが隠れた「語り手人称」も「作者人称」とはまた別のものであることは、「私小説」の場合を考えあわせればよく分かる。三人称物語の隠れた語り手もまた「虚構された私」である。作者とは、そのさらに背後に隠れて絶対に登場しない「虚人称」とすべきであろう。とすれば、詩の背後に隠れた語り手もまた「虚構された私」であって、作者人称(詩人)そのものではない(抒情詩の「私」には語り手と詩人の間を揺れ動く曖昧性が伴うけれども)。

 大塚の詩はそのような語りの重層性を強く意識させる。希に現れる一人称もまた、仮象と意識の合わせ鏡、その入れ子構造のなかに登場する三人称の形象と同じ次元、同じ座標軸の内に位置づけられる。詩の語り手もまた虚構の像なのだ。だがそれは、大塚という詩人の含羞であろう。作品の内に絶対に登場しない虚人称という作者の位置に隠れて、詩人はむしろ雄弁になる。時に「頭の中」と形容される大塚詩の中を動く三人称形象は逆に、すべて詩人の虚人称を影のように引き連れている。それが、想像力の繰り広げる空間の広大さと、どこまで行っても意識の壁に迎えられる閉塞とを二つながら基礎づけている。作品が基本的にいつも同じ構造を担う、その「狭さ」を詩人は自ら意識したのかも知れない。近年は、想像力の一人称的独白の世界から歴史的世界へ出て行こうとし、歴史的人物に「わたし」と語らせる途を選んだ(『蒼ざめた馬 丸血留の賦』『美しき弧線の下で』)。だが、それはまだ、キリシタン殉教者やペトロ岐部など歴史的人物の虚構性を借り、詩人の虚人称にどこまでも語り続けさせようとする闘いのように思われる。

「物語る」とは本来「〈私〉ではない他者との関係へと一歩を踏み出す冒険」を言い表す。しかし大塚の詩はあくまで抒情詩の曖昧性に固執し、魂の独白劇を形成していく。それはむしろ抒情詩の本領であり、それを問題というなら、抒情詩が初めから胚胎する問題性であるがゆえに、むしろ偉大なる抒情詩人を称えて良しとすべきであろう。ただ、自らの意識や言葉で覆って夫人の姿を神秘的に隠す演出や、感動的な小説を結晶させても、最後にやはり壮大な抒情詩に帰着する様を見るとき(『さらば、わが青春のアルカディア』)、大塚の詩の表現全体にとって、他者の扱いはなお別な可能性を残しているように思われる。

 第一詩集の「紫陽花」の系統にあって、経験や出来事を生で感じさせる同傾向の作品に出会う。例えば「無脳児」、また近年の『これから生きる人々に』所収の数編。小説もまたそのような素材を多く含む。感動を開放するその叙述の方法は、まさしく抒情的。こうした詩を読むと、虚人称の作者、大塚は基本的にニヒリズムの詩人ではなく、思いのたけを素直に述べる情の人ではないかと思われてくる。かつて「ああ 悲しいなあ」とのべた表現(「ある日」)は率直で、日常の生活に場を持っている。全体としてみるとそうした作品の数は決して多くない。それだけでは素朴にすぎ、創作の営為としては事足りないと感じる詩人の使命意識が、存在論的な詩を志向させてきたのであろう。にもかかわらず、不覚にも感動を漏らしてしまったという照れ隠しを伺わせるそれらの作品は、含羞の隙間に出会いの出来事を開示する点で、大塚の詩の生起する大切な部分を示している。


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