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中村不二夫『山村暮鳥論』を読む
                        --詩書評

 

中村不二夫『山村暮鳥―聖職者詩人』を薦める


 このたび中村不二夫氏の『山村暮鳥論』が沖積舎「作家論叢書」に加わる形で再版された。旧版元倒産のため久しく絶版のままであったが、ようやく再び入手できるようになった。何よりのことと慶ぶ。これを機にあらためて読み返したが、ここに誌面を得て、多くの人に繙くように薦めたい。巻末に森田進氏の詳しい解説が付されているので、全般的な紹介はそちらに譲って、特筆すべきことを私の立場から述べておく。

 中村氏はかつて筆者に、「学者の世界に憧れたことも」あったと話したことがある。初版を贈られた際にもそのような文面が添えられていた。この暮鳥論と取り組んだ時期は、「研究に意欲を燃やし」、祝祭日や有給休暇を最大限有効に用いて資料を集め、「志木の立教図書館にこもって」書き上げたと。個人詩誌「火箭」に連載した文章を、さらに練り上げて上梓するまでに、込められた精魂は文面から自ずと伝わってくる。――「学者の世界」と語られて、その端くれとしては面はゆい心持ちがした。その世界も様々であるから。むしろ(在野とは言わず)二足の草鞋を履く人の中にも優れた研究者が存在することは、誰もが知っている。良い学者とは、と問われると答えに窮するが、優れた研究書の基準なら明らかである。独創的な着眼点、綿密な資料の裏付け、説得力ある叙述。文学論となれば、読ませる面白さも求められてくるだろう。中村氏の暮鳥論はそのいずれをも備えている。

 まずは独創的な着眼について。中村氏は初版「あとがき」に執筆に至る状況を詳しく述べていた。これは再版には収録されなかったので少し紹介する。――中村氏はその結婚によって聖公会キリスト教と正面から出会った。夫人が、かつて祖父がこの会派の司祭を勤めたという由緒ある家系の方だったためである。氏は、その祖父の同世代に、しかも同会派の伝道師として山村暮鳥という詩人が存在したことを深く意識するに至る。これが「伝道師を生涯の職業と決意した詩人が、いったいどんな一生を歩んだか」を研究する契機となったという。きわめて身近なところから芽生えた関心。しかしそれは、中村氏の実存を裏打ちする問でもあった。聖公会信徒にして詩人、それは他ならぬ氏自身の生き方を規定する主題ともなっていたからである。「こうして暮鳥とつきあってきたことは、私自身の神と向き合う姿勢が、そこで試されたということにはなる。」暮鳥への問いは、自らへの問いを貫いてまっすぐに本質的な問に行き着く――そもそも文学と信仰とはどのように関わるのかと。そのような三重構造をなす問いの真摯が、本書の迫力を導いている。文学と宗教の相剋を一応主題としては掲げつつも、後者についてはおざなりに済ませがちな研究と本書との違いは、何によりもこの点にある。

 次に資料の裏付けについて。――キリスト教伝道師であったという事実に言及しない暮鳥研究はおそらく皆無であろう。しかしその事実、また暮鳥の信仰は、せいぜいその文学の「一要素」と見なされるか、果ては文学遂行上の「障害」とされるのが一般であったと中村氏は言う。信仰の問題が一般の論者には些事に留まるためであろう。「伝道師暮鳥への肯定的な論究はほとんど見当たらない」なかで、氏は人間暮鳥の全体に迫る必要を痛感する。そうした認識のもと、寸暇を惜しんで、氏は各地に、とりわけ聖公会を初めとするキリスト教関係の資料を広く蒐集した。神学校時代の同窓生、須貝止(後の聖公会指導者)の回想や後進の高瀬恒徳の論文「山村暮鳥の詩と芸術」は、聖公会内部の暮鳥評価として本書の「特ダネ」の一つ。同会派の公的機関誌「基督教週報」から(後の童話『鉄の靴』に戦争批判において通じるような)「降誕祭の讃歌」などを発掘したのもその業績であろう。さらには、「平基督青年会」など暮鳥が赴任した各地の伝道所で設立し、その同志と共に刊行した同人誌一つ一つへの綿密な調査とその批判的紹介もある。その緻密さに、後に『現代詩展望』四巻に及ぶ旺盛な批評活動へと続いていく活力を窺うことが出来る。同人誌等を隈なく漁り、詩壇の範囲をも越えて目配りを怠らぬ実証性が、旺盛な批評精神とともにすでに発揮されている。

 こうした資料を跡づけつつ中村氏は、山村暮鳥における伝道師の職業、またその信仰を、彼の文学の周辺ではなく核心として位置づけていく。暮鳥の神は、日本の近代文学者がその自己実現の過程で、やがて否定するために予め仮設した擬似的な神とは違う。「暮鳥の『三人の処女』から『雲』までに一貫していたテーマは」「文学と宗教の間に生じる矛盾を受け入れ、内的に止揚させようとすること」。「この点は高く評価してよい」。口語自由詩運動の中で象徴詩を書き、その不評を受けて民衆詩に転身、晩年には東洋的枯淡の境地に達した――そのような暮鳥評価を浅薄とし、中村氏は暮鳥の文学に貫かれた信仰との関係をこう語る。「暮鳥は詩風の変化が激しかった詩人といわれるが、神と自己の関係を問うことには一貫した姿勢があり、その生涯において象徴的手法は不変のものであった。」「東洋的枯淡ではなく、むしろ『雲』は、暮鳥のキリスト教精神が、言葉の上に純化して生まれ出たもの」と。ただし、中村氏の叙述は決して無批判の賛美に終わるものではない。その筆致はつねに、信仰と伝道を巡っての聖公会の状況、また伝道師暮鳥の教会規定や上級聖職者との対立にも公正な視点を失わない。教会の内側からの暮鳥の告発に共感しつつ、その人格や活動に露呈する弱点や問題をも見逃さない。さらに批判的対峙という点では何よりも暮鳥の文学に冷静な目を向ける。例えば、言語実験詩の先駆けと今日讃えられる詩集『聖三稜玻璃』評価に対する留保は、読者に驚きをもたらすかもしれない。だが、暮鳥の生涯が目指したものを見据えた上で、その時点の未熟さを語る中村氏の指摘は正鵠を射ている。

 さらに「暮鳥の問題意識が神との関係性の次元に絶対化され、その言語が予め日常性を超えていたということがある。そのため、暮鳥の感心は他者への批評はおろか、自己批評の必要性さえもなく、ひたすら神と垂直に向き合うことで自己完結していた。唯一童話・童謡の世界を例外として。」――暮鳥文学の問題を突くものとしてこの指摘が一番鋭い。それは暮鳥の文学のみならず、人としての暮鳥の弱さをも示唆する。だがこれは暮鳥の内奥の痛みを知る者の言葉である。この弱さゆえに暮鳥は信仰を必要としたし、キリストを必要としたと、中村氏は論述を結ぶ。まさにその痛みへの共感・共苦のゆえに、本書は暮鳥の信仰と文学の内奥に迫り得た。そのような意味で本書は、暮鳥研究に必須の書物で有り続けると共に、中村不二夫の文学を考える時にも大切な書となると思われる。


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