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中村不二夫『コラール』を読む
                        --詩集評

 

星を見張る者――中村不二夫の詩の世界


 出会いから語ることにする。「地球」の会などで多少話はしていたが、突然中村から「詩人クラブ」への勧誘を受けた。熱意の人との印象であった。研究会の推進や雑誌の編集へとその熱意に促されたのが、詩の世界に深入りしていく契機となった。今日の多忙を導き出した張本人である。もちろん、誘いは受ける方の責任だ。詩壇の要職にあって、人を結びつける才のある動の人との印象は深まった。詩が事業になりうるのを不思議な思いで見ていたが、そのうちに、中村の人物について、様々な側面から知るようになった。

 まずは批評家としての一面。詩誌「柵」に連載の時評を、毎回欠かさずに書き続けている。家業の合間に執筆、しかも日ごと新たに目に触れる詩集や詩誌に目を通してのうえであるから、その根気と精力に目を瞠る。さらに詩の啓蒙家としての顔もある。詩の会合ごとに、多くの人と言葉を交わし、詩に勧誘する。話し好きな人柄もあろうが、やはり詩の世界の豊かになることを願う思いから来ている。ことに若者の育成には情熱を感じた。暮鳥研究者の肩書きは、中村の内面に深く関わっている。中村は結婚によって聖公会キリスト教と出会った。聖公会伝道師にして詩人であった暮鳥、それは他ならぬ中村自身の生き方を規定する主題ともなった。暮鳥研究者としての中村に、詩人としての中村が接している。それは自明のことであろうが、中村における信仰と詩の関わりは、実は、すぐに腑に落ちたわけではない。大の野球ファンで、昔はボクシングのジムに通い、今でもランニングは欠かさないというスポーツマン。これが、信仰の世界が持つある種の形而上性とどう結ぶのか、最初は不思議だった。

 中村の詩集名は、『ベース・ランニング』から『ダッグ・アウト』そして日本詩人クラブ新人賞を得た『Mets』と、シリーズをなして野球から採られている。続く『People』の横文字は前詩集と共通だが、彼の評論の世界に通じる、社会へ関わる姿勢を窺わせる。中村の第六詩集『コラール』を最初に手にしたとき、正直に言って、ある種の戸惑いを覚えた。第五詩集『使徒』に続いて今度は『コラール』。中村の詩作の営みがはっきりと一つの方向へとシフトし始めたのを感じたからである。キリスト教の歴史と文化を担う言葉を詩集名に選ぶ。それは、ひとつの意志の所在を示している。詩も信仰も、等しく言葉をめぐる営みの形であるから、そこに何らかの関わりが結ばれないことはありえない。ただ、信仰の言葉はあまりに直裁で、なるほど「讃美歌」(「コラール」はその謂のドイツ語)に連なりはしても、「現代詩」の言葉に直に結びはしない。普通、そんな風に考えられているのではないか。いや、むしろ両者の間に言葉が揺れ動く、その鬩ぎ合いから作品は結晶する。その事情は中村も同じだろう。ともかくも詩集表題を眩しい思いで眺めた。

 『使徒』には「キリスト者として、どのように社会と(あるいは歴史と)、そして他者である人間と向き合っていけばよいのか」と、モチーフとなった問いが語られていた。これは新詩集でも基本的に同じだろう。詩集『コラール』には「身近にいて親しい人たちの死は、私の中に大きな詩のテーマとなって浮上した」とある。さらに、詩集掉尾の作品に扱われる「木島始氏の死」にふれて、「なんの邪心も抱かず、ひたすら純粋に詩を追求してきた詩人」の「生き方こそ模倣すべきかと思ってきたが、この間の私の現実はまったくちがってしまった。せめて、本誌集を天国の木島氏に捧げて身辺にたまった垢のすべてを洗い流したい」と述べられる。先に述べた詩壇に貢献する櫛風沐雨の日々を、中村自身は内心複雑な思いで過ごしてきたことが分かる。詩集は送別の想いを二重に響かせている。

 詩集名に冠された作品「コラール」は、夫婦で富良野を旅行した経験をモチーフとしている。「ぼくたちは 地上での試みに失敗し続けたが/ けれど 希望が無くなったわけではない」とか「ここでは だれもが命の修復を願って生きている」という詩行は、そんな近い過去を振り返る想いに発するのであろう。「夜明けの向こうに 新しい人を立たせよ」と、詩人は切実な希望を語る。「その時山肌を削り 天使の一群が降りて」くる。天使とは、風光の隠喩であろうか。コラールとは本来、宗教民謡として共同体の内に連綿と伝えられた響きのはずだが、ここではむしろ天然との共感による恢復を映し出す。「天使たちはコラールを歌いおえ 姿を消した」。詩人はそこで、「天の父」に呼びかけるが、人間関係にまとわる悩みや柵を、自然の内なる天の経綸(「設計図」)において受け止め直そうと、新たな歩みが願われている。

 詩集『コラール』の主導テーマは、身近な人々の危機や死にそのつど対していく際の切実な思い、また、そうした日常の生に密かに蓄えられていく痛みへの真摯な対応の響きであろう。そこで希求されている癒しは、人間に共通のものとして、読者の共感を誘わないではおかない。旧約の士師(裁判官兼軍事統率者)「サムエル」を洗礼名とする義父の死、また義母に実母のイメージが重なる「やさしい手」や「復活」「未来」など、肉親の死を扱った作品には、信仰者としての詩人の姿が率直に語られる。人手に渡る生家(「家」)や細君の危機(「K病院救急病棟」)に対処しつつ詩人が抱いていた思いは、「あなた方を襲った試練で、耐えられないものはない」という、聖書からの引用が如実に語っている。かつて中村はある詩人への挽歌で「今は神に近いものばかりが試される」と歌ったが(「神の目」)、あの屹立する一行もまた思い起こされる。

 この文章を中村に依頼されたのは、理解が得がたいキリスト教詩のために後押しをせよとの趣旨だった。だが、本来それは、中村の詩そのものこそが良く為し得ることであろう。作品「風の後に」は、この詩集随一の絶唱である。ポール・デルヴォーの画面の静謐を想わせる。夜中に目覚めた詩人は猫に導かれて歩む幻を見る。猫は、中村の詩にしばしば現れるが、ここでは魂の形象のようだ。「深夜 ぼくは一瞬呼吸を止める/ かたわらの猫の眠りに/ 奇妙な安らぎを覚えている」。疲れて重い体、懐かしい過去の町の景色の不思議な明るさ。だが未来の姿は分からない。過ぎ去った失意の歩みを想うとき「いつしか猫はぼくの体を擦り抜けていた」。猫の後を追って彷徨う詩人は、墓地に佇んでいる。が、なおも彼を呼んで坂道を昇らせる声がするという。「ぼくの体から しだいに剥がされる物や人/ 風に倒れる墓標 それを払い除け前に進む」。とうとう聞こえるのは声だけになって、詩人は坂道の途中になお佇んでいる。詩人は夜中、夢中になって事を果たしてきた失意の日々から、いつのまにか解き放たれている自分を見いだす。前後の詩の文脈からすると、それは、様々な別れや弔いの時の直接の拘束を離れて、振り返ることができるようになった心の姿であろう。大切な人を送った後の、心がどこに向かうか分からない。だが悲しみの極みではもはやない。なんとか、自分の歩みを始めようとする時の想い。誰にでも思い当たるあの経験が描かれている。

 銘記すべきは、この詩にはキリスト教や聖書の引用を窺わせる言葉が見あたらないことだ。それでいてその精神は深い敬虔に充ちている。前後の離別を詠った詩の営為が、ここで一段と深く結晶している。続く「猫の独白」を読むと、「何もすることがないが 愛する人がいる/ ぼくは静かに 空の鳥を見上げている/ ぽつんと一人 庭先で風に吹かれている」など、魂の憩う大気が福音の香りを伝えていることに気づく(マタイ六章二六節参照)。だが、それはあえて指摘せずとも良い。優れた宗教詩は、宗教詩の枠をはめようとする意図を、それ自体で軽々と超えていくのだから。「蝶図鑑」という詩もまた、抹香の香りを一切伝えない。蝶図鑑をくれた教師。夕陽の中を去っていった幻の人。バスの中でまどろむと金色の鱗粉を振りまいて蝶が舞ったという記憶。美しいものを慕う想いは人から人へと託される。夜明け前に窓で舞う蝶を、朝ごとに「空に帰す営み」。それは、詩作という営みに似ている。「光に溶けていく蝶」。だが、それはまた、なによりも祈りの言葉であろう。それゆえに「すべてが消えていくとき 地球が少し動く」のだ。言葉への希望の、類無く美しい表現である。

 中村の詩の文体は、修辞的には並列表現(パラタクシス)と呼ばれる。古代の文体様式において、雅文の洗練に対し民衆の口調を評するもの。聖書はその代表である(アウエルバッハ著『ミメーシス』参照)。中村の詩は、聖書の素朴な叙述を地で行くものなのだ。接続詞が比較的少なく、一行一文で、麦畑の穂のように背丈等しく整列している。あるいは小学生の朝礼の様を思い浮かばせる。第一詩集の頃から、それはもう確立された詩風であった。爽快な言い切りが明快な思想を乗せる。その文体で、隠喩の獲得による世界の認識を目指した初期の詩から、詩行全体で生の光彩と陰影を描き出す方向へと次第に移行していった。野球を題材とした中村のスポーツ詩は、ディマジオやバースといった時代を画するヒーローを扱った。彼らは、華やかに輝いていたが、トップの次くらいで、どこか陰の側面を持ち、人知れぬ努力家か、世渡り的に不器用か、人間臭い悪人であったりした。中村は、スポーツを社会の一システムと見て、人間の考察を深めていったのだと納得がいく。また彼らに自らの同時代の刻印を認めようとする。『コラール』でも、貴乃花を詠った「青春譜」では、反体制を唱えることが社会正義たり得た時代の「不服従 抵抗精神 失地回復 権力闘争……」を聞き取る。今も中村の内にその響きが途絶えてはいないと感じることがある。「K学園の記憶」では、挫折の英雄「江夏豊 たった一人の引退試合」を詠って、「この日まで〔…〕若い人に向けて詩を読んできた」せつない記憶を語る。「いっせいに彼女たちは 教室の外に飛び出していった/ あとには 驚くほど何も残っていなかった」。スポーツ詩ではないが「音楽葬」もまた等しい主題の詩であろう。

 野球からキリスト教世界へと詩集名を転じたとき、扱う英雄にも多少変化が生じた。「クリストファー」とはデ・ヴォラギネ『黄金伝説』に伝えられる朴訥な巨人クリストフォロス(「キリストを担った者」の謂、ロマン・ロラン『ジャン・クリストフ』結末も参照)。一番強い人の家来になると誓い、川の渡し守となって最強の王キリストを待つ。ある日、一人の子供を担って川を渡るが全世界を負う重みに沈みそうになる。はたしてその児こそキリストであった。巨人アトラスの神話に通じる御伽噺だが、殉教者として聖人に列せられる。中村の詩では、「墜ちる鳥」の姿で、危急の時に犠牲になる者が暗示されるが、何のためにかは具体的には述べられない。ここにも試練が示唆され、選びの徴、祝福が語られる。映画「ベン・ハー」が後ろ姿のみでキリストを描くように、その人の姿は隠されている。「地を継ぐ者」とは、「柔和な者」(マタイ五章五節)。それは「温厚で優しい人」ではない。「踏みつけられても、じっと歯を食いしばっている人」の謂である。中村の願う人の姿だ。「僕のためにそこにきた」と、弟子となることが言い表される。聖人の素朴な姿は、人としての中村の姿に通じる。教理にあれこれと拘泥することはない。中村のキリストは先導者として、道を指し示す者。そのままずばり、イエスの磔刑の出来事を述べる「十字架」には、贖罪の主というより、「皇帝」のように従うべき模範としての英雄の像が描かれる。その先達のイメージは、木島始氏追悼と題された「星の留守番」にも通じる。「もっと言葉を飛ばせ 宇宙の芯に向かって!」「その人は突然星を釣りに行くのだと/ 真剣なまなざしでぼくを誘った」。それはまさに、命のやりとりとしての真理の伝達が成就した、その時である。

 最後にその人が落葉松林に消えていくのを見た
 その人は大きな手を振っていた 旗のように
 ぼくの耳に 星の留守番を頼むと声が聞こえた

中村不二夫が担おうとする詩の使命がそこに語られている。


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