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「物語ること」
詩誌「ERA 第2号」 2004. 03


●都市の風光・ケプラー記念碑など
                             川中子義勝


   レーゲンスブルクの大学図書館。その一隅で、日本の劇画を見出したことがある。今日では、翻訳や映像によってMangaの語もこの国で徐々に市民権を得つつある。しかし当時、日本学の書架に、そもそも日本語の書は辞書類しかなかった。手に取ると、表題は『オルフェウスの窓』。作者の池田理代子はかつてこの街に滞在。その時の感激からこの作品が生まれたと後書きにある。感動を共にした誰かがその四巻を寄贈したのだろう。思わずその場で読み耽っていた。所謂「少女漫画」を大学図書館で読む。初めての経験。だが感激は伝わった。その第一巻の場面を導きに、この街の風光を描いてみたい。

 『窓』の舞台となる音楽学校は架空のもの。鉄柵の文様描写から察するに、モデルとなった建物はトゥルン・ウント・タクシス家の居城である。かつては欧州全体に巡らされた郵便馬車網で財をなした商業貴族であった。駅から旧市街に至る道の左側がその城の敷地。そこから東西に伸びる旧市街の城壁跡地は緑で覆われ、新市街との境をなしつつ、町全体に庭園の趣を与えている

 街の典型的な風景は、ドナウに架かる欧州最古の石橋からの眺め。聖堂横の路地を辿ると、古くローマ時代に遡る石門跡を見ることができる。降って神聖ローマ帝国の時代は、皇帝直属の都市として帝国議会の開催地。カトリック地域の直中に孤島のように浮かぶプロテスタント都市であった(一五二四年以来)。三位一体教会には当地で没した議員たちの墓が並ぶ。市役所前には議員たちが通った、これもまた欧州最古というカフェ。

 街の景色は背景の自然と一体をなす。ドナウに沿って東へ、地質時代を違えた断層が連なる。船で三〇分ほど往くと、崖の上にギリシャ神殿さながらの白亜の建物。一九世紀のギリシャ憧憬から建てられた「ヴァルハラ」。万神殿に倣ってドイツ精神の偉人の胸像が並ぶ。『窓』では、ロシア革命の残党たちが闘う場となった。冬の日、私はこの建物の正面に上った。冷気に頬が凍るかと思われる痛さの感覚。眼下に、溶けた鉛が流れるような速さでドナウが重く流れていく。河面を覆う薄氷がひびわれ、冬日に乱反射して、河原一面が眩しく輝いていた。

 ヘルダリンには、この河の水源に捧げる讃歌がある。私の滞在は、ドナウからマイン川を経てラインに通じる運河が開かれて間もない頃。大型船の往き来する運河といっても、自然の姿を保存する工事が貫かれて、河畔は人工の印象を与えない。都市化と環境、技術と自然の問題に、ここでは別な答えが提示されている。ヘルダリンの詩のことばに、風光がいまもなお応えている。

 『窓』の主人公は、町の実力者の策謀のために予定した演奏会場を閉め出され、野外音楽会を決行する。第一巻のひとつの頂点をなすこの場面。ピアノを運び込む公園の東屋も実在する。駅から旧市街への道の脇、草地に木漏れ日を浴びて建つ。実は「ケプラー記念碑」である。この天文学者が没した(一六三〇)家は、場末の川縁にあって、今日では「ケプラー博物館」となっている。

 宗教と科学の相克を告げるとされる有名な標語、「それでも地球は巡っている」。だが今日、この対立の図式を当時に帰することは、ガリレオ裁判の伝説と同様、神話であることが証明されている。ガリレオとしては、敬うべきライバル、ケプラーを擁するプロテスタントに対し、カトリック教会の栄誉のために自説を述べたのだ。ケプラーにとっても、宗教と自然の知見の違いより、新旧の教派抗争の方が切実な問題であった。むしろ穏健な寛容の人であったが、皇帝家との友好関係を損なっても信条を貫き、プロテスタントとしてその墓に葬られた。

 「和魂洋才」を唱えつつ、日本の知識人は「宗教から科学へ」という進歩の構図を安易に受け入れた。西欧の技術を模倣しつつ、その科学的知見が本来ともにしていた畏敬の在処を無視して顧みなかった。もちろん、西欧でも科学革命の進展とともに、重点の変遷は生じた。だが、時代が降って、宗教から自然科学が独立していく状況が自明のものとなっても、知性の発見と心の結びつきは容易に放棄されなかった。カントが「わが上なる星空とわが内なる道徳法則」と、二つの崇敬の対象を述べたのは、『純粋理性批判』(一七八一)で自然科学的認識の可能性と限界を論証した後のこと。カントの標語を、旧約聖書、詩篇第一九編と比べてみるならば、神の名は告げられなくとも、そこに同じ讃歌が響いているのを感じ取ることが出来る。自然を貫く法と精神(心)を貫く法とが、ひとつの源から生じ来るという確信を。

 世俗化した西洋近代からも、伏流のように通じていた倫理性の源を、近代日本は顧みなかった。ゆえに明治以降、「湯水のように」使い「水に流して」憚らなかった結果を、西欧の主客対置の思想と技術に帰するのは筋違い。都市の風景を見るとそれがよく分かる。カントの同時代人ハーマンは、啓蒙された人間の手前勝手な「自然讃美は自然搾取と表裏一体」だと痛切に批判した。これに比して、東洋的な「緑」の思想など、捏造された伝統にすぎない。根元的な日本を取り戻すには、逆説的だが、斥けた異質のものとの真剣な取り組みがむしろ必要だ。

 科学は自然を説明(エアクレーレン=明らかにする)する。しかし、いくら知見を集め系統的に組み上げても、説明はついに自然の「意味」を語らない。ハーマンは、自然学は「自然のABCを教えるにすぎない」と述べた。それはまだ自然を「物語る」ことがないと。物語る(エアツェーレン)とは数えあげる(ツェーレン)こと、「ひとつひとつ数え上げていくこと」また「繰り返し語り直すこと」の謂。そのようにして人の語りはつねに神話を形成する。科学は神話を非神話化し、時代の知性の言葉で語り直す。しかし科学もまた言葉である。言葉がそもそも持つ神話化作用を免れはしない。かくして物語るとは、さらなる非神話化と再神話化が連綿と連なる営みとなる。一七世紀以降、科学は宗教の一元的な語りを脱していく。それは、物語る務めからも免除されたわけではないのだが。

 『窓』の「物語」に出会ったとき、私はそんなことを想っていた。人の物語る営みはつねに綻びると。物語られる自然も、人の綻びゆえに、つねに呻いていると。「分断された自然の肢体」を再び組み上げる。それは詩人の務めだとハーマンは述べた。ヘルダリンは、そのような綻びに直面した語りをこそ、あえて詩人の聖なる職分と名指す。「だが留まるものをうち建てるのは詩人だ」。

 



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