県立鎌倉高校サッカー部


<コラム>

VS鹿島アントラーズユース』

 

十数年ぶりにアントラーズの練習グランドに立った。当時は完成したばかりの素晴らしいクラブハウスで、芝四面のグランド。こんな素晴らしい環境でサッカーができるなんて、とJリーグがスタートしてサッカー界が大きく変化していくその場を目の当たりにしていた時代だった。

ジーコ・アルシンドが活躍し、鹿島アントラーズの黄金期。あの頃は私も学生で、練習ゲームを通じてJリーグを肌で感じながら、俺も挑戦できるんじゃないか?という自信と、やっぱりJはスゴイな、あの中では厳しいな、とか将来に向けて、気持ちが揺れ動いていた時期だった。

さて、このゲームについては、

自陣のゴール前の危険な場面でのピリピリ感が足りなかった。打たれる瞬間に体を放り出してシュートコースに入る。マークをしっかり捕まえて、こいつには絶対に触らせねえぞ!という意識を持って守備をする。
このゲームでやられてもいい場面があり、ゴールされなかったことは”偶然”だったことを忘れてはいけない。反省して意識を高めなければ、”必然”の失点が繰り返されるだろう。


ゴール前の守備に対して、攻撃で奪ったゴールは”必然”のことだった。

この数試合、前線の守備の核となり、”前へ”の守備(相手へのプレス)の意識を全身から周りに放散し続けていた選手だった。
ボールを奪いにいく!という全力ダッシュの守備の意識というのは、ゴールに向かうんだという意識にそのまま乗り移っていく。集中力が高まる状態。ゴールを奪う意欲が高まっている。
だから、ゴールに向かって自らボールを動かしながらプレーし、パスでなくシュートを選択できた。
ゴールは守備意識の高揚が生み出した見事な”必然”のゴールだった。

後半にも、素早い前線の守備から決定的チャンスを作る。集中力が高まる。顔を上げて周りを見た時、入ってくる映像がスローモーションになり、手に取るように相手の動き味方の動きが見える。周りがよく見えてくるということだ。
味方FWがスーッと相手から離れ、シュートスペースを作りパスを引き出す(この動きもとてもレベルが高い)。そこにラストパス。いい形を作った。
ここでゴールは奪えず残念だった。

と、何となくいい形だったからいいか、としてしまうのが、日本人的感覚で、日本サッカー全体に横たわる大きな課題なのだが。まあこの話は別で。。

全ては守備意識。いまのようなプレーを続ければ、あいつは全力で相手にプレッシャーにいってくれるという信頼関係が生まれ、“後ろ”もついてくる→“連動・連携”が生まれる→守備に本格感が出てくる→ボールが奪えて守備が楽しくなるのでもっとやろうとする→ゴールへの意欲が高まる、攻撃がうまくいく→サッカーがもっと楽しくなる。

ただこれはまだファーストステップ。
まだ自分だけ。周りとの連携、連動、そして影響力。コアとなって周りを引っ張れるか。そこまで求められているし、できるはずだ。

どこにでもいる選手になるのか?見る人が見ていい選手だね、になるか?分かれ目にきている。