県立鎌倉高校サッカー部


<コラム>

『サッカーをやめるということ』

 

インターハイが終わり、3年生は選手権までの残るのか、やめるのか決断に迫られる。というか、これは鎌高の変な伝統で、他の学校では選手権までがサッカー部の活動であるところが多いのではないかな。

ちなみに私の時は、事情があって続けられなかった1人を除いて、全員が選手権までプレーした。12人いたから試合に出られない選手も当然いた。

3年時のインターハイは代表決定戦で負けたが、選手権は今のように2次予選からのシードがなかったから1次予選からスタートし、ベスト16決めの試合で負けた。当時、全く負ける気がしなかったのだが、横なぐりの雨と風がすごい日で、DFのバックパスをGKがはじいたところをつめられ0-1。負ける時はこんなものかなと、あっけなく高校サッカーの幕がおりた。次の日だったか、神奈川新聞の結果の見出しに“候補の鎌倉やぶれる”と大きく書いてあった。それを茅ヶ崎駅で見たなぁ。“もう関係ねえや”と丸めて捨てたことを覚えている。

 

子供の頃から毎日打ち込んできた“サッカー”。高校でやめるということは、その上のレベルにいく一部の人間を除くと、一生のうちでもう2度と戻ってこない日々にピリオドを打つということ。サッカーは一生続くが、毎日練習して勝負にこだわる“サッカー”は終わる。やめるということは、心に残る大きな出来事になる。

 

コーチというより、先輩として私の経験をいうと、私は2度“サッカー”をやめている。

その時の出来事は私の心にグッサリと刺さっている。

 

1度目は高校卒業時。サッカー推薦で大学のサッカー部に入ろうとしたが入れなかった。(まあ、騙されてしまったのだが・・)その時の選択肢はないから、とにかく浪人して大学にはいるために勉強した。結果として、当時の鎌高の監督に背中を押される形で大学でも“サッカー”を続けたが、現役で大学に行けなかった時点で“サッカー”をやめている。

 

大学卒業時もひとつの分岐点だった。ちょうどJリーグが誕生したところで一緒にプレーしていた先輩達は、ほとんどがJリーグまたはJFL(今でいうJ2)に進んでいた。自分も上のレベルでやりたいなと思いながら、普通に就職活動も行っていた。ちょうどセレクションに来てみないかなんて話がある数日前、練習中に左足首の靭帯を断裂した。松葉杖をつきながら、セレクションに行った覚えがある。普通の就職活動で内定をいただき、また足が治るということが前提で“サッカー”でも入団が決まり、さて、どっちを選択しようかなと。ここまでくるまでに、鎌高生らしい変なプライドが邪魔をしていた。俺は、勉強して大学に入ったのだから、ちょっと違うだろ。ここでキッパリとやめて、サラリーマンとして生きていくべきじゃないかと。元々、浪人した時点で、1度やめているし、もういいんじゃないかと。

色々と悩んだのだが、ここでは“サッカー”をやめなかった。

 

さて、社会人で、2度目の“サッカー”をやめるときがくる。

当時の監督はオランダ人で現在の韓国代表監督。1人づつ監督に呼ばれ、通訳をとおして来年の話をされる。そこで来年は“サッカー”ができないことになった。

私は、他で続ける道を探らずに自分の意思で“サッカー”をやめた。ここでも鎌高生らしい変なプライドが出る。無理してサッカーを続けるより、普通に仕事だってやればできるのだから、そっちをやればいいやと。同じような境遇の人間が、サッカーにこだわって他のチームに移籍しJリーグで活躍した選手もいる。また会社を辞め、コーチの勉強をしてJリーグでコーチになった人間もいる。

 

インターハイでやめる、やめないっことは大きいことなのかなぁ?選手権が終われば、みなやめるのだからね。

まあ、受験という側面は、どうしても大きいのだろうね。私には理解できないけど・・。

もう一つは、選手権まで残って試合に出られなかったらイヤだとか、鎌高生らしい変なプライドが邪魔をしてしまう。そこまで、俺はサッカーには本気じゃないよ、受験もあるし、なんてね。

価値観はそれぞれだから何ともいえないが、もし変なプライドがあるなら捨てたほうがいい。