県立鎌倉高校サッカー部
<コラム> 『高校時代のコーチの言葉』 私の4つ上の学年で、鎌高サッカー部が全盛期のGK。全国高校選手権に1年の時、3年の 時と2回出場している。私にとって、三ツ沢球技場で躍動する憧れの先輩であった。 今でも、年に1回程度だが、酒を飲みながら昔話やサッカーの話で盛り上がる。 先日たまたま、少年サッカーの指導をされているところに私が通りがかりご挨拶した。 もちろん、相変わらずの熱い指導をされていた。 そんな先輩に以前こんなことを聞いたことがある。 ”当時の鎌高はなぜ全国大会に出られたのですか?” その答えはというと、一言、“執念”だと。小学生の時、中学生の時、いま一歩の ところで、全国に行けなかった。だから、“高校では絶対に全国に出る!”という すさまじい“執念”があったそうだ。 レベルの拮抗している神奈川県では、べスト8以上のチームであれば、大きな差はないから、どこが全国大会の切符を得てもおかしくない。そこを勝ち抜ける力、さらに運をつかむ力。そんな力を生むもの、それが“執念”ということか。 時代は違えど、昨年の選手権を勝ち抜いた桐光学園にはそれがあった。 予選リーグで秦野に負けた後の彼らの姿、三ツ沢で試合にのぞむ彼らの姿。神奈川のトップになるべきチームだった。 その執念はどうやって生まれてくるのだろう。 1つは、その選手本人が成長過程で経験した悔しさ(試合に負ける、試合に出られない 等)や喜び(勝った喜び等)により、次は負けたくないという”執念”、また勝ちたいという”執念”。 もう1つが、チームの伝統が醸し出す“執念”。毎年、勝った負けたを繰り返しながら、チームのいるべきステージが高くなり、より上のステージに立つことを具体的にイメージできるようになる。勝って当たり前という空気が出てくる。練習試合だろうと負けてはいけないという空気が出てくる。それがチームの伝統。また、日々の練習、積み重ねも伝統をつくっていく。選手が色々な壁にぶつかり、それを乗り越えるべく全力で取り組んだ日々の積み重ねからにじみでてくる“執念”。 いよいよインターハイの代表権を得るまで3試合、昨年の選手権の覇者である桐光学園をはじめに大勝負がはじまる。闘える準備はしてきているから、思いっきり楽しんで欲しい。
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