県立鎌倉高校サッカー部


<コラム>

『温故知新〜プレイバック選手権予選(昭和62年)〜』

 

私が高校2年の選手権のとき以来、鎌高は三ツ沢球技場のグランドに立っていない(選手権への出場となると、さらに4年前)。かなり昔の話になるが、その時の選手権をプレイバックしてみる。(敬称略で失礼します)

 

鎌高は、インターハイ神奈川県予選ベスト4を賭けた戦いで、関東大会を準優勝(優勝は埼玉の武南高)し、神奈川では頭一つ抜けていた藤沢西に3-2で破れた。20人近くいた3年生は、8人を残し引退していった。その後、フェスティバル、学校での合宿でレベルアップを図り、8月の選手権1次予選に望んだ。シード校のため2回戦からスタートし、3試合危なげなく勝ち進み、なんなく1次予選を突破した。2次予選は16校のトーナメント方式。初戦の相手は横浜商大高だった。雨の降る中、藤沢西高グラントで行われた。気持ちの充実した鎌高は冷静に試合を進める。前半ペナルティエリアで宮代が倒されPKを獲得。キャプテンの松岡が冷静に沈め先制する。後半半ばで、FW公文の左足のミドルがサイドネットの上段に突き刺さり2-0。危なげない試合運びで勝利しベスト8に進出する。

 次の相手は、前年度、正月の選手権全国ベスト8で、インターハイにも出場した旭高校。試合までの調整は順調に進み、チームにはやれるという自信に溢れていた。

2年生は、試合前日まで学校行事の修学旅行が予定されていたが、試合に向けた調整のため私も含む数名が参加せず学校に残った。そのことがさらに試合への気持ちを盛り上げていた。スタメンの構成は、2年生3人(現在コーチの石原(MF)と宮代(FW)とGK)3年生8人の構成だった。

11月3日秋葉台球技場。エンジとミドリの伝統の一戦が始まる。開始早々、ロングスローからヘディングで押し込まれ失点する。会場にはいつもの試合とは違う雰囲気が流れていた。選手権のベスト8ぐらいになると今までの公式戦とは雰囲気が変わってくる。スタンドには観戦する人も多くなり、いいプレーやチャンスには歓声もあがる。得点が入ればアナウンスがされた。“ただいまの得点は●●高校の●●くん、背番号10”のように・・・。そんな環境にかたくなったのか、鎌高の選手は本来のプレーが全くできていなかった。0-1でハーフタイムを迎える。私はチームのふがいなさにブツブツと怒りながら、控え室に入った。控え室のドアが閉められる。

「おまえら、何やってんだぁーー!」

監督が大声で怒鳴りつけた。あまりの声の大きさに体が浮いたというか、一瞬何が起こったのかさえわからなかった。こんなに怒鳴られたのは初めてだった。

“冗談じゃねえ、こんなところでは終われねえよ”気持ち新たに後半を迎える。

 目が覚めた鎌高は勢いを取り戻す。宮代が中央に運び、私にパス。ワントラップの後、ペナルティエリア外からボールの落ち際を左足で振りぬくとドライブのかかったボールが左隅に飛び、キーパーの脇を抜けてゴールに飛び込んだ。よっしゃー!同点だ。

その後、一進一退となり延長に入る。ドラマは延長後半にやってきた。

私は相手の左サイドバックの足がつって動けないことを知っていた。

“ここしかない!”延長後半キックオフをチョコンと出してもらうと、できるだけ相手のプレスを受けないようゆっくりドリブルした。そして相手が取りにくるギリギリのタイミングで、サイドバックの背後(ぺナルティエリアのつけ根)に、止まるような柔らかいボールを出した。ボールがトーン、トン、トンとゴールラインに向かって転がっていく。出るかな?と思った瞬間、疾風の如く駆け上がった右ウイングがいた。3年の綾目だった。ゴールラインギリキリでセンタリング。それをキックオフしたセンターフォワードの公文が猛然と詰めていた。相手DFを抑えながら右足で合わせる。しかし、バーにあたって跳ね返り、ダメか?と思った瞬間、ボールは左から詰めていた背番号8のエンジのユニホームの選手の頭に吸い付いた。左ウイングの宮代が頭で押し込み鎌高は逆転に成功する。

私の大学、社会人とやったサッカー人生の中で最も印象に残る奇跡的なゴールだった。

ゴールラインギリギリでセンタリングをした右ウイングの綾目は、普段から自分のスピードを生かせずいつも悩んでいるようにみえた。悩みながらも黙々とセンタリングの練習をやっていた姿を思い出す。この大事な場面でいつもやってきたことが出てくる。本当に、普段の練習が大切なんだな。

いよいよ鎌高は延長後半で勝ち越した。しかし、ドラマはまだ終わらない。このゴールに鎌高が喜んでいる間に、次のキックオフの笛がなり、プレーが開始されてしまう。陣形が整っておらず、まともに対応できるのは5〜6人程度。捨て身の旭が襲い掛かった。慌てるDF陣。ボールがつながれてゴール前に運ばれ、旭のFWと鎌高のDFがもつれているところに、GKがセービングしてきたが抜かれてしまう。ゴールに向かってボールがコロコロと転がった。誰もがやられたと思った瞬間、鬼の形相で戻り、クリアしたのがDFの森だった。

森は、パスが上手くなくいつも苦し紛れにクリアをするので、パスで相手を崩していくタイプの私をいつもイライラさせていた。“クリアじゃなくて俺に早くパスを出してくれよ!”と怒鳴って言い合うこともしばしばだった。でも、いつも一生懸命、人一倍練習に取り組む選手だった。あの時の鬼の形相が今でも脳裏に焼き付いている。

やはり、一生懸命、真摯にサッカーに向き合っていると”必ず”いいことがあるんだな。

鎌高は、この試合をモノにし、準決勝の三ツ沢球技場に駒を進めた。

11月6日に準決勝がある。ゲームまでは中2日。中庭ではブラスハンドが練習を始め、”猪木のテーマ”がグランドまで聞こえてくる。ダンス部もチアガールの準備をしだした。

さあ、いよいよ憧れた高校サッカーが始まる。が・・・。

11月6日 高校選手権準決勝 VS湘南(0-3) 三ツ沢球技場

 このゲームについては18年経った今でも気持ちの整理がまだついていない。

 

10年後、選手として三ツ沢球技場でゲームをする機会があった。複雑な想いで緑のピッチに立った覚えがある。その試合でたまたまゴールし、あの時決めていれば・・なんて

くだらないことを考えたりもした。

 

私はチャンスを掴めなかった。

チャンスを掴むためにすることは、”ひたむきに””全力で”練習すること。それだけ。

私には練習が足らなかったから。