メッセージ (説教より) 「テサロニケの信徒への手紙 一」 |
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「感謝に満ちた生活へ」 テサロニケの信徒への手紙T 5:16−22
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」
毎日、感謝に満ちた生活を送れればどんなに幸いなことでしょう。不平や愚痴や恨みに満ちた生活より、感謝して毎日が送れればこれに勝る幸いはありません。
「感謝せよ」と言います。感謝を自覚的にせよというのです。感謝は出来るからするのでなく、見つけてでもそうせよというのです。
聖書は暗く、つらいことの起こる現実を知らないのではありません。それに目をつぶって感謝せよというのでもありません。それが分かった上で「感謝せよ」というのは、現実を超えるものを見ているからなのです。
「神は、わたしたちを怒りに定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによる救いにあずからせるように定められたのです。主は、わたしたちのために死なれましたが、それは、わたしたちが、目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになるためです。」(Tテサロニケ 5:9−10)
私たちの人生がこの神様の支配の下にあるからなのです。感謝することは神様の救いを確認することなのです。