メッセージ  (説教より)
「申命記」



「どこで神様と出会うか」     申命記 32章1−14節

「主は荒れ野で彼を見いだし
獣のほえる不毛の地でこれを見つけ
これを囲い、いたわり
御自分のひとみのように守られた。
鷲が巣を揺り動かし
雛の上を飛びかけり
羽を広げて捕らえ
翼に乗せて運ぶように
ただ主のみ、その民を導き
外国の神は彼と共にいなかった。」(申命記32:10-11)
私たちが神様に見いだされること、こんな喜びはありません。それまで私たちは迷っていました。自分を神のようにし、人に負けまいと肩肘張って生きていました。しかし、ひとみのように守り、翼に乗せて運んでくださる主と出会い、不安から解放され、委ねることを知り、自我からも解放されたのです。

「エシュルンはしかし、肥えると足でけった。
お前は肥え太ると、かたくなになり
造り主なる神を捨て、救いの岩を侮った。」(申命記32:15)
これがわたしたちの問題です。神様に出会った後、神様に従おうとすればするほど従いきれずに裏切り、お心に従おうとすればするほど自分の罪に気付かされるのです。ここで第二の神様との出会いが起こります。
そのことを知っていて神様はわたしたちを見出してくださっていたのです。裏切らないに越したことはありませんし、裏切っていいのでもありません。しかし、裏切るまでの信仰ではなく、裏切っても、たとえ足蹴にするようなことをしても、決して捨てない神様の愛の確かさに立つことが信仰なのです。