メッセージ  (説教より)
「申命記」



「共に生きる」           申命記24:19−22

 「畑で穀物を刈り入れるとき、一束畑に忘れても、取りに戻ってはならない。…ぶどうの取り入れをするときは、後で摘み尽くしてはならない。それは寄留者、孤児、寡婦のものとしなさい。あなたは、エジプトの国で奴隷であったことを思い起こしなさい。わたしはそれゆえ、あなたにこのことを行うように命じるのである。」

 何と心温まる行き届いた戒めでしょう。相互扶助で、共に生きるための戒めです。
 社会福祉制度は「幸せの分かち合い」と言われています。自分の幸せを、そうでない者と分け合うのです。しかし、キリスト教の社会福祉制度は基本的に違います。今幸せだからそれを分かち合うのではなく、神様が自分を奴隷の家から救い出してくださったからなのです。

 信仰者とは、自分が救い出されたことを知っている人です。それを知らなければ、聖書やキリスト教の知識を持っていても、休まず教会の集会に出席していても信仰者ではありません。自分が奴隷の家から救い出された者であることを知る人です。そして神様はこんな私たちを本当に救い出してくださったのです。ここから共に生きる者へと押し出されるのです。