メッセージ  (説教より)
「申命記」



「過越の犠牲」         申命記 16:1−8
 
申命記16章にはイスラエルの3大祭が記されています。過越と除酵の祭りはエジプトを脱出した民族の誕生を記念し、春分の後の満月の時、大麦の取り入れの時期に守ります。7週の祭り(ペンテコステ)は、過越から数えて50日目でモーセが十戒を与えられたことを記念し、小麦の刈入れの終わる頃です。仮庵の祭りは秋分の満月の後で、40年の荒野の旅を仮庵を造ってしのぶ秋の収穫の時です。過越と7週の祭りは私たちイエス様を信じる者にもなくてはならぬ祭りです。ただイスラエルの民にとっての祭りは、単なるお祝いではなく、神様の救いの事実を追体験することなのです。
過越と除酵の祭りの起源は出エジプト記12―13章に記されています。奴隷だったイスラエルの民が救われるためには神様の不思議がありました。子羊が屠られて門にその血が塗られたイスラエルの家は主の使いが過ぎ越し、それをしていないエジプトの家には災いが及びました。酵母を入れたパンは傷みやすく、出エジプトのあわただしさの中では発酵時間を待つ余裕もありませんでした。その救いを追体験するのが過越と除酵の祭りです。

人は犠牲なしには生きられません。私達は人を支えますが、それ以上に支えられ、配慮されています。隣人からも、実に神様からも。私たちが生きるために過越の子羊イエス様が屠られました。この事実があったのです。このことにより、私達は神の救いに入れられているのです。この事実を追体験するのが聖餐です。