メッセージ  (説教より)
「詩編」


   

「耳をすまして」              詩編 31:2―9  

「慈しみをいただいて、わたしは喜び踊ります。

あなたはわたしの苦しみを御覧になり

わたしの魂の悩みを知ってくださいました。

  わたしを敵の手に渡すことなく 

わたしの足を 広い所に立たせてくださいました」

                         (詩編 31:8―9)

 この詩人は人の嫌がる病気にかかり、死に瀕し、その結果でしょうか、人から苦しめられ、うとまれていたようです。

 詩人が与えられた救いは「わたしの足を広い所に立たせてくださる」ことでした。病気が治ることもそうでしょう。誤解が解けることもそうでしょう。しかし最大の救いは「広い所に立たされる」ことなのです。

私たちは病気を宣告されると目の前が真っ暗になり、試験に落ちると人生の先が塞がれたように感じ、倒産すると奈落の底に落ちたように思います。それはその通りなのですが、それらによって人生の全てが否定されたわけではありません。違う生き方があるのです。神様は必ず道を開いてくださるのです。視界が開かれる。それが「広い所」です。

大きな声、賑やかな音は否応なく耳に入ってきます。大切なことは「耳をすまさなければ」聞こえません。しかし、もっと大切なことは、神様が私たちの声に耳をすましていて下さることを知ることです。