メッセージ (説教より) 「詩編」 |
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「行くべき道」 詩編32:1−11
詩編32篇は、6、38、51、102、130、143篇と共に7つの「罪を悔いる詩」と呼ばれていますが、32篇は罪赦された者の感謝が特徴です。
いかに幸いなことでしょう。背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。幸いな者は義しい人だけではありません。罪赦された者も幸いなのです。
なぜならわたしは黙し続けて、絶え間ない呻きに骨まで朽ち果てました。御手は昼も夜もわたしの上に重く、わたしの力は夏の日照りにあって衰え果てました。罪は、内側からわたしを告発するからです。誤魔化しても駄目だと。間違った生き方の上には決して本当の生き方は築けないのです。
わたしは罪をあなたに示し、咎を隠しませんでした。わたしは言いました。「主にわたしの背きを告白しよう」と。その時、あなたはわたしの罪と過ちを赦してくださいました。「主に背きを告白する」とは、神様の前で自問自答することではありません。神様の前で自分の罪を凝視し、その人の前でも告白することです。
その結果がどんなに嬉しく確かなことか。大水が溢れ流れるときにもその人に及ぶことは決してありません。あなたはわたしの隠れが。苦難から守ってくださる方。
この幸いを知った者は言います。わたしはあなたを目覚めさせ、行くべき道を教えよう。分別のない馬やらばのようにふるまうな。感謝も悔い改めもない者は動物です。感謝と悔改めこそが人としての徴なのです。
(太字は聖句)