メッセージ  (説教より)
「エフェソの信徒への手紙」



「励ましを伝える者」       エフェソの信徒への手紙 6章21−24節

獄に入れられていたパウロは、そこで、救いの砦である教会について教える手紙を書き、最後に自分のことを心配してくれている人々にその消息を伝えることにしました。
離れている者にこちらの消息を伝えることはやさしいことではありません。不正確な消息は誤解を与えますし、場合によっては正確であればかえって心配をかけてしますことになります。信仰者にとって消息を伝えると言うことは、剥き出しで独りよがりな情報を流すことではなく、相手が励ましを受けるような消息を伝えることなのです。
それは、神様の恵みの中でその事態を受け止め、その恵みの中で生きていることを伝えることです。辛ければつらいほどそうなのです。

パウロがどういう様子でいるか、何をしているかを伝えるのですが、最もよい伝達方法は人によることです。ティキコが選ばれました。彼は主に結ばれた、(神様の)愛する兄弟で、(神様に)忠実に仕える者でした。彼は信仰に立ち、考え、行動する人でした。彼はパウロの健康、裁判の様子、身辺の事情も伝えるでしょうが、それ以上にパウロが信仰に生きて喜んでいる様子、獄の中でも福音を大胆に語る様子を知らせることでしょう。
信仰に生きる、神様の愛の中で生き続けることが最大の励ましなのです。