メッセージ  (説教より)
「エフェソの信徒への手紙」



「神の言葉の剣」          エフェソ 6:10−20

「救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい」

これまで正義、真理、平和を武具として記してきましたが、それは救いの元となったものです。そこでパウロは「救いの兜」、救いそのものを記します。
「信仰と愛を胸当てとし、救いを希望として兜とする」(Tテサロニケ5:8)という言葉があります。救われることを望みとすることもありますが、望みの与えられることが救いでもあるのです。現実ではなく将来に望みを持つことですから、確かな希望はいつも言葉と関わっています。
「霊の剣(聖霊が与える剣)、すなわち神の言葉を取る」のです。
イエス様は霊に導かれて40日荒野で悪魔の誘惑を受けます。パンを与える救いの誘惑に、「人はパンだけで生きるものではない」と語り、わたしを拝むならこの国の一切の権力と繁栄を与えようとの妥協の誘惑には、「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ」と退け、神殿の屋根の端から飛び降りて奇跡で人の心を魅了する誘いを、「あなたの神である主を試してはならない」とのお言葉で跳ね返します。
聖霊の導きは空中を飛んでくるのではありません。私たちが耐え、望み、委ね、整えられるのは聖霊の導きですが、私の内にある神の言葉に聖霊が火をつけてくださるのです。