メッセージ  (説教より)
「エフェソの信徒への手紙」



「信仰の盾」           エフェソ 6:10−20

「なおその上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。」(6:16)

「悪い者の放つ火の矢」とは、私たちに働きかける罪です。罪はたぐっていくととてつもなく凶悪な「暗闇の支配者」「天にいる悪の諸霊」にまでたどり着き、素手で立ち向かえば負けるに決まっている敵です。
悪魔の放つ矢は社会の悪もそうですが、個人の偏見、敵意、憎悪、神様の支配を信じられない取り越し苦労もそうです。火の矢はどこから飛んでくるかわかりません。信仰の盾を取ることがもっとも有効な武器なのです。

「信仰の盾」と言うとき、私たちは自分の信仰の大小を問題にします。しかし、自分の信じ方を問うてはなりません。信仰は信念ではないのですから。神様がイエス様によって私を愛し、守り、支えてくださっている。その神様を信じることであって「信じ方」ではありません。
「恐れるな、アブラムよ。わたしはあなたの盾である。」(創世記15:1)
神様が盾であることを信じることなのです。

病気の問屋のような三浦綾子さんは「愛の神様はわたしに悪いことをするはずがない」と言って事柄に向かったと言います。「取る」とは当てはめることです。