メッセージ  (説教より)
「エフェソの信徒への手紙」



「喜んで仕える」            エフェソ 6:5−9

「奴隷たち、キリストに従うように、恐れおののき、真心を込めて、肉による主人に従いなさい。人にへつらおうとして、うわべだけで仕えるのではなく、キリストの奴隷として、心から神の御心を行い、人にではなく主に仕えるように、喜んで仕えなさい」(エフェソ6:5−6)

これらの言葉に出会いますと戸惑います。奴隷制度を認めた上で、弱い者に犠牲を強いて体制の安定を助けているのではないかと思えるからです。社会の仕組みの変更を訴えることの方が先ではないかと思えるからです。
それが出来れば苦労はありません。聖書が書かれたのは今から2千年前、奴隷解放の歴史は、160年程前のアメリカ南北戦争の時からなのです。一握りの者が力んでも歴史の流れは変わることなく、歴史を本当に導く方を恐れた者によって、真理そのものに力があり、そこに立つことによって成るのです。

私たちが住んでいる社会がどういうものかを問うことは大切です。それと同じ程、その社会でどう生きるかも大切です。そういう社会で「我慢しなさい」とは言わずに「キリストの従うように恐れおののきつつ従え」と言い、「辛抱しなさい」とは言わずに「へつらおうとしてうわべだけで仕えるな」と言います。主人の背後にキリストを見ているのです。人生と歴史の主を見ているのです。