メッセージ  (説教より)
「エフェソの信徒への手紙」



「妻を愛しなさい」      エフェソ 5:21−33   

米ソ冷戦のさなか、アメリカの有識者が「ソ連については、屈服するか嫌いになるかのどちらかしか道は残されていないが、大事なことは、嫌いであっても共存しなければならないと言うこと理解することだ」と言っていました。これはすごい言葉です。皆が一緒に生きるということを語り、それは別れることの困難な夫婦にも言えることなのです。そうはわかっていても、相手を丸ごと受け入れ、愛せるのでしょうか。
「夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のために自分をお与えになったように、妻を愛しなさい。」(エフェソ 5:25)
愛するとは、聖書特有のアガペーであって、エロースの愛ではありません。エロースの愛は肉欲の愛ということではなく、本来は、美しいこと、価値あるもの、私にとって有用なものを愛することです。しかし、私にとって愛するに値するものを愛するのでではなく、自分を嫌い、自分に反感を抱いている者、いわば敵をも愛するアガペーで愛せよというのです。
キリストは私たちが神様の敵であった時に、肉を裂き、血を流して私たちを赦し、受け入れてくださいました。夫婦が互いに愛し合うことは難しいことではなく、愛し合わない方が不自然なのです。愛さないことは自分を憎むことなのです。
「妻を愛せよ」と言われていますが、私がアガペーの愛で愛され、赦されたということに立って、そこから押し出されることなのです。