メッセージ  (説教より)
「エフェソの信徒への手紙」



「夫と妻のこと」          エフェソ 5:21−33

「妻たちよ、主に仕えるように、自分の夫に仕えなさい。キリストが教会の頭(かしら)であり、自らその体の救い主であるように、夫は妻の頭だからです。…夫たちよ、キリストがを愛し、教会のために御自分をお与えになったように、妻を愛しなさい。」
この言葉に、ある者はニヤリとし、ある者は憤慨します。この言葉は従属の勧めではありませんし、男女の上下の関係を語ったものでもないのですが。
聖書が書かれた当時は、男性の両親から女性の両親に結納金が払われ、夫は妻を所有する者、妻は所有される者となりました。十戒の第十の戒めもここに根があります。ギリシャ・ローマでは、婦人・子供・奴隷など社会的弱者の権利は話にならない程ありませんでした。そんな中で「ユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません」(ガラテヤ3:28)と、考えられないことが宣言されています。しかし、当時は画期的なことであったとしても、現代にはその教えがかえって差別を助長すると考える人もいます。
この箇所は夫婦の教えですが、パウロはキリストと教会の関係としてそれを語ります。敵意と憎しみに満ちたこの世が救われるために教会が建てられました。家族が救われるのもこれと同じなのです。また家族は、権利・義務の上に立つのではなく、赦しと愛、仕えられ愛されるという教会を生かすのと同じ原理の上に立って完成するのです。