メッセージ  (説教より)
「エフェソの信徒への手紙」



「光の子として歩みなさい」     エフェソ 5:6−14

 聖書は、信仰を与えられる前と与えられてからの生活を、光と暗闇の生活として言い表しています。

 光の子の歩みは、明るさと喜びに満ち、周りの人を照らします。
 光から生じるものは、「何が主に喜ばれるか吟味する」生き方で、善意(悪意の反対で、人に親切と憐れみをもって接すること)、正義(神の前に正しく生きること)、真実(神の真理に従って生きる姿が真実な生き方となる)です。光の子はいつも隣人が見えています。
 実を結ばない暗闇の生活は、そのしていることは口にするのも恥ずかしいことで、ひとりの生活で、隣人は利用することでしか見えていません。
 暗闇から光に変えられるためには、暗闇の業を光にさらすことです。「すべてのものは光にさらされて、明らかにされます。明らかにされるものはみな、光となる」からです。他人の暗闇の業を明るみに出すことではありません。私の暗闇の業を神様の愛と赦しの光の中にさらすのです。するとまるで月が太陽の光に照らされて光り輝くように、私も光となります。
 
放蕩息子が父の元を離れて自立しようとしました。しかし金を使い果たし、飢餓にも見舞われ、ちやほやしてくれた友人からも見放され、暗闇の中で這いずり回った末に、父の元に帰ります。死んでいた彼は父の赦しと愛の中で生き返ったのです。光の子として生きるとは、日々、父の元に帰ることです。