メッセージ (説教より) 「エフェソの信徒への手紙」 |
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「我らは神の家族」 エフェソ 2:14−22
私の優しさや愛を大きくして平和が来るなら楽なものですが、その人の顔を見るのも嫌、そばにいるだけで虫ずが走るという相手とどうしたら平和に過ごせるのでしょうか。
赦され難い私がキリストの十字架の血によって神様と和解させられました。神様の愛と赦しを知って、恨まれたら恨み返すという生き方の醜さを知らされました。私は新しい人に創造されたのです。
そこから隣人との平和に導かれました。お互いが向き合って平和になるのではなく、双方とも神様の方に向いて、教会で一つになるのです。
私たちがキリストとの体(教会)に組み込まれ、「キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿になります」(2:21)
石造りの建物は、削られ、磨かれ、一つひとつ組み込まれて造り上げられます。整えられずに組み込まれることはありません。自分でふさわしく鍛えたり、変えようとするのでなく、キリストと共に生きることで整えられます。
その建物は成長します。教会が成長するとは、教会がより真実に、更に純粋に神様をほめたたえる礼拝を捧げることです。
このようにして私たちは「外国人でも寄留者でもなく、…神の家族」(2:19)なのです。