メッセージ  (説教より)
「エフェソの信徒への手紙」



人は何のために生きるか」            エフェソ 2:1−10

 

 「あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自分の力によるのではなく、神様の賜物です。行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。」(2:8−9)
 その通りです。でも、パウロは繰り返し繰り返し、これを語ります。それは人が神様の恵みを分かっていないからです。何故神様の恵みが分からないのでしょうか。
 人は、叩けば埃は出るとは思っていても、過ちと罪とによって生まれながら神の怒りを受けるべき者だと考えていないのです。神様の恵みはありがたいけれど、全てが恵みによるとは思わず、自分にも少しはいいところがあると思っているからです。それは甘いのです。
 
信仰者は自分を神様の前で怒りの対象と見ますが、それだけでありません。その私が、恵みによって、神の愛の中にいれられて救われていること、それを、心底から知ってもいるのです。

「わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。」(2:10)
 善い業をして救われるのではありません。救われたら、善い業、神様のお心を行ってその恵みに応えるのです。救われるとは生きることです。