メッセージ  (説教より)
「フィレモンへの手紙」



「愛が形をとる」              フィレモンへの手紙 1節−25節

パウロが牢屋に入れられていた時、オネシモもその牢屋に収監されてきました。オネシモはパウロと出会って信仰をもちましたが、実はコロサイの家の教会のフィレモンの家の奴隷であり、何か悪いことをして逃げ出した逃亡奴隷だったのです。
それがわかると、年老いたパウロは「監禁中にもうけたわたしの子オネシモ」と言い、なくてはならない者でしたが、オネシモをフィレモンの元に返すことにしました。その時に持たせたのがこの手紙です。

オネシモには、出来ないこともありますが出来ることもあります。それは私たちも同じです。私たちは何もかもが出来るわけではありません。しかし、私たちにも出来ることがあります。
オネシモはフィレモンを逃亡奴隷として罰することも、「愛する兄弟」として受け入れることも出来るのです。自分の出来ることで、愛が形をとって欲しいと言うのです。愛が理屈でわかるのでなく、行動にも移して欲しいと言うのです。
又、いいことや愛は、強いられてするのではなく自発的であって欲しいと言うのです。そうでなければ愛ではありません。
フィレモンも私たちも、これにどう応えるのでしょうか。