メッセージ  (説教より)
「民数記」



「分を越える」            民数記 16:1−14

 コラはアロンやモーセと従兄弟同士だったようです。それなのに一方はレビ人として幕屋に仕え、一方は祭司としての仕事をする不満。ダタン、アビラム、オンは軍人だったようで、モーセの指導に不満があったようです。4人は謀り、250人もの人を巻き込み、モーセとアロンに「あなた達は分を越えている」と迫りました。モーセはこの問題の解決を自分ではしません。主に委ねました。

 人の集まるところには内輪争いが起こります。教会とて同様です。

 パウロはこう言います。「自分を過大に評価してはなりません。むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の度合いに応じて慎み深く評価すべきです。」(ローマ12:3)と。

 過度の自己主張と同様、過度の引っ込み思案も問題です。無欲がいいのではありませんし、上に立つことが悪いのではありません。問題はどこで自分を見るかです。

 「分をわきまえる」とは、神様の前で自分を見ることです。そうすれば自分を過大評価も過小評価もできません。神様を抜きに自分を見るので、隣人と比べてしまうのです。

 「慎み深く評価する」とは「すこやかに思う」ということです。うぬぼれたり遠慮したりせず、自分もそして隣人も神様の前で受け入れ、その関係がすこやかになることです。