メッセージ  (説教より)
「民数記」



「従うということ」          民数記 15:27−36

 実にむごい話です。盗みをしたり、殺人をしたのではなく、安息日に薪を拾い集めたというだけで石で撃たれたのです。しかし、ここに極端な記述ですが、信仰とは何か、神様に従うとは何かが記されています。

 イスラエルの民は神様の約束を信じて困難な荒野の旅を続けました。荒野の旅には厳しさが必要です。敵がいつ襲ってくるか分かりません。健康を損ね、内輪争いが起こり、少しの気の弛みは皆の破滅につながります。必要だったら禁じられている安息日にでも薪を集める、そういう甘さが問題です。敵は外から襲うこともあるでしょうが、それ以上に自分の内にある甘えとずるさです。

 従いたい時に従い、従いたくない時には従わない。それは従うことではありません。従うとは、従いたくない時も従うことなのです。自分に神様を合わせるのではなく、神様に自分をあわせること、これが信仰です。

 約束の地に向かう旅は信仰者の私たちも同じです。信仰の破船に(テモテへの手紙一1:9)合わないために、何より必要なのが自分の甘えやずるさとの戦いです。

 私たちはイエス様によって神様が愛であることを知らされました。神様の愛を信じ、神様を畏れて従う、これに絶対間違いはないのです。