メッセージ  (説教より)
「民数記」



「現実をどう判断するか」       民数記 13:17−33

 モーセは12人の斥候を選んで約束の地の偵察を命じました。カナンは先祖に約束された土地です。神様の約束は何の努力もなしに、まるでエスカレーターに乗ってそこに着けるようなものではありません。

 40年後、約束の土地を前にしたヨシュアに神様は語られました。「わたしの僕モーセは死んだ。今、あなたはこの民すべてと共に立ってヨルダン川を渡り、わたしが…与えようとしている土地に行きなさい。…わたしはあなたたちの足の裏が踏む所をすべてあなたたちに与える」(ヨシュア記1:2-3)と。約束はあります。それをわたしたちは足の裏で踏みしめて自分のものとしてゆきます。

遣わされた者の内10人は「そこは乳と蜜の流れる所でした。これがその果物です。…しかし、…あの民に向かって上って行くのは不可能だ。彼らは我々よりも強い」(民数記13:27-31)と復命します。

ヨシュアとカレブの二人は「もし、我々が主の御心に適うなら、主は我々をあの土地に導き入れ、あの乳と蜜の流れる土地を与えてくださるであろう」(民数記14:8)と復命します。 

見た事実は同じです。しかしその事実から何を引き出すかは違います。信仰は事実を無視することではありません。しかし事実だけに拘泥するものでもありません。嬉しい現実、苦しい現実。問題はその背後に神様の御手と導きを見ているかどうかです。(ヘブライ11:1-3)