メッセージ  (説教より)
「民数記」



「道に進むとき」            民数記 10:11−36

    

 イスラエルの民はエジプトを脱出し、3ヵ月かかってシナイ山の麓に来ました。そこで十戒が与えられ、幕屋を作り(出エジプト19-40章)、幕屋を使っての礼拝の仕方を教えられ(レビ記)、エジプトを出てから2年2ヵ月後、いよいよシナイ山の麓から約束の先祖の地に向かって出発します。

 道に進むとき、雲が幕屋を離れて昇ると人々は出発し、昇らない時は昇る日までそこに止まったのでした。これは簡単なことではありません。食物、飲み物、天候、敵の出現、何より病気にだってなります。もう少しゆっくりしたいと思っても雲が動いたら移動しなければなりませんし、天候や敵の状況を考えて早く移動したいと思っても動かないのです。

 しかし、信仰とは結局この雲の柱の導きに従うことにつきます。「御心の天になるごとく、地にもなさせ給え」「しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行なわれますように」「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」と言われている通りです。

  民数記は、信仰の民が約束の地に向かって歩む記録で、私達の人生や教会の歩みの象徴です。辛くても、不利益と思えても、御心に従う。神様の愛を信じ、赦しと愛に生きる。このことが結局は人にとって幸いなのです。