メッセージ  (説教より)
「マタイによる福音書」





「救い主を拝みに行く」    マタイによる福音書 2:1−12
           
「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」
東方の占星術の学者は2,000キロの旅をして、エルサレムに来て問いました。
祭司長や律法学者たちはたちどころにキリストがベツレヘムに生まれることを言い当てましたが、東方に学者のように拝みには行きませんでした。
信仰は出会いです。信仰は教えることも譲り渡すことも出来ません。信仰は理窟ではなく、キリストとの出会いだからです。
キリストと出会うということは、「家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として捧げ」ることです。
キリストと出会うとは、キリストによって心が豊かにされ、人生の役に立つことを教えられることではありません。信仰を持つことは結婚と似ています。私がその方と共にいることが喜びで、その方は私に何もかもを与えて下さり、私もその方に応える。キリストは私を丸ごと受け入れてくださり、私もすべてを上げてキリストに応えます。私の人生を捧げて悔いない方との出会いです。
キリストと出会った者が「別の道を通って自分たちの国へ帰って行った」のも当然です。それまでのように自分のためでなく、どうしたらキリストをお喜ばせ出来るかを考えることが生き方の中心になったからです。