メッセージ  (説教より)
「マタイによる福音書」





「神は我々と共におられる」  マタイによる福音書 1:18−25

ヨセフにとっては青天の霹靂でした。婚約していたマリアが身重となったのです。何日も眠れぬ夜を過ごし、怒り、絶望し、煩悶したに違いありません。これはマリアとても同じです。
律法に従えば公にしてその結果石打の刑にすることですが、ヨセフにはそれは出来ませんので、密かに婚約を解消しようとしました。
「このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。『ダビデの子ヨセフ、恐れずに妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。』」(マタイによる福音書1:20-21)
ある人は神様がヨセフに頼んだ言葉と言います。縁を切ってはいけない。妻として迎え、生まれてくる子を自分の子として迎えて欲しいと。
二人は神様の言葉に従って、ベツレヘムで宿屋を探し、生まれた子をイエスと名付け、ヘロデの幼子殺害の思いを知るとエジプトに下り、ベツレヘムに住みました。黙々と神様のお心に従って、それによって神様の業が起ったのです。

イエス様によって「神は我々と共におられる」ことがはっきりしました。救いは神様がただ存在するだけでなく、共におられること、世の終わりまで共にいてくださることがはっきりすることです。その際、ただ共にいてくださるのではありません。罪を犯した者を、イエス様を代わりに罰することで赦し、それで神様が共にいてくださるのです。神様の決意です(テサロニケの信徒への手紙T 5:9-10)。