メッセージ  (説教より)
「マタイによる福音書」





「来るべき方」         マタイによる福音書 11:2―15
 
 マケラスの牢屋に入れられていたヨハネは弟子達からイエス様の様子を聞いていました。その報告を聞き続けているうちにイエス様への根本的な問いが湧き、使いを送りました。「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」と。死人は生き返ってもやがて死ぬ。長血を患っていた女が癒されることは女にとっては喜びでも、この悪と暴力の世界は改善されない。イエス様の救いとはそんなものだったのですかと。

 イエス様は「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。」と、イエス様が行い、ヨハネがすでに報告を受けていたことをもう一度語れと言われました。目の見えない人は見え、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされていることは、神の大いなる救いの時の始まりなのだと言われるのです。
 ヨハネはヘロデの悪を糾弾して収監されました。それが私たちの現実なのです。ヨハネの働きを高く評価されるイエス様はヨハネを救出には行きませんでした。イエス様なら出来ないはずはありませんが、それをしません。
 開くがばっこ跋扈する世界で愛は無力のように見えます。病と貧しさの前であっと驚くような救いを求めたくなります。しかし十字架によって明らかにされる神の愛の支配、赦しと愛が実行されることこそが救いなのです。イエス様によって大いなる救いが始まりだしたのです。