メッセージ  (説教より)
「マタイによる福音書」



「悲しむ人は幸い」       マタイによる福音書 5:1−12


 「悲しむ人々は、幸いである、
その人たちは慰められる。」

 イエス様は私たちの意表をつく言葉を語ります。私たちは喜ぶ人、笑っている人が幸いだと思いますから。実は違うのです。
 ルカによる福音書では、追い討ちをかけるようにこう言われます。「今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる。」「今笑っている人々は、不幸である、あなたがたは悲しみ泣くようになる。」(ルカ福音書 6:21、25)と。
 
 悲しみは罪や失敗を悲しむことだけでなく、人が生きている限り体験するあらゆる悲しみです。これはすべての人々への言葉なのです。
 残念ですが、人は喜びや楽しみからは人生を学ぶことは出来ません。逆にある人は悲しみを通して自分の弱さを知り、謙遜にさせられます。高ぶりが砕かれ、悲しみの中で自分の本心に目覚めます。悲しみは新生の門口なのです。
 また、ある人は悲しみによって人生の真実に触れ、人の痛みに共感できるようにされます。この世の美しい業の多くは悲しみから生まれました。悲しみがなかったらこの世はどんなに殺伐としていることでしょう。喜びだけに価値があるのではなく、悲しみを損失と思ってはならないのです。
 神様は悲しみに見合う慰めを、必ずイエス様によってお与え下さいます。