メッセージ  (説教より)
「マタイによる福音書」





「苦悩の決断をするとき」        マタイ 1:18―25

「母マリヤはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。」

ヨセフの苦悩は察するに余りあります。幾日眠れぬ夜を過ごしたことでしょう。婚約は結婚と同じですから身重になったことを公にすれば石打の刑になるでしょうし、それは出来ませんので密かに離縁しようとしました。

 そう決断しようとした時、神様は、「胎の子は聖霊によるのでマリヤを妻として迎え、生まれる子をイエスと名付けよ」と言われます。それが納得できたとは思えません。しかしヨセフは神様の言葉に自分を委ねたのです。

 しかしこの一連の出来事は、若い二人にとってなんと酷いことでしょう。

 横田早紀江さんはその理不尽な現実を神様の前でとらえました。13才のめぐみさんが拉致される。どれだけ涙の夜を過ごし、苦悩し、果ては自分の落ち度まで考えたかも知れません。早紀江姉は教会に導かれ、絶対にあってはならず認められないことを、神様の前でありのまま受け入れられました。それで広く声を上げることが出来るようになり、その声がうねりとなったといいます。

恨んでも呪っても自棄になっても現実は変わらないのです。神様の前に出して祈り、そこから現実を受け入れ、神様の御心に聞くことから神様の業、みんなを生かす神様の業が始まるのです。