メッセージ  (説教より)
「マタイによる福音書」





「目を覚まして待つ」          マタイ 25:1−13

アドベントとは、「接近する」「来臨する」という意味です。やがて来たり給うキリストを待つ姿は、クリスマスを迎える姿勢と同じです。

「キリストの再臨」「終末」「審き」の三つは同じことです。終わりの時に、キリストはもう一度来て下さり、全てのことに決着を付けて下さるからです。世の中の人はそれを認めません。かまいません。しかし、信仰者はいつも心の片隅にそれがあります。

地上の生活には終わりがあります。終わりがあり、それがいつかが分からないことでは死も終末もよく似ています。一体終わりから自分の人生を考えないで、今の生活だけを考えていて、本当の、責任ある生きかたは出来るのでしょうか。

この世の人が考える終わりは、消滅など暗く淋しいものです。聖書の終わりは違います。喜びです。人生の一番の喜びの結婚式の喜びです。

「愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壷に油を入れて持っていた。」(マタイ25:4)油とは何かはそれぞれが考えたらよいでしょう。問題は本気で花婿を迎える姿勢があるかないかなのです。

イエス様は、あなたは賢いか愚かかと言っているのではなく、一人も漏れずに、賢くなって婚礼の喜びに与って欲しいと言っておられるのです。