メッセージ  (説教より)
「レビ記」


「神を礼拝する」          レビ記 23:1−3

レビ記は、旧約聖書での礼拝のための書物です。犠牲の定め(何をもって)、祭司の定め(誰によって)、清さを求める規定(礼拝する民が整えられる)、そして23章は祭り(いつ礼拝するか)の規定です。

甦られたイエス様は「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28:20)と約束して下さいました。健やかな時も病む時も、家にも旅にも共にいて下さるのです。何と大きな励まし、慰めでしょう。

「いつも」と言いますが、私たちは神様を、日曜日の安息日に礼拝します。

いつも共にいて下さるということは、どこにでも共にいて下さることです。神様は神道のように土地には結びつかず、人に結びつきます。

「わたしは、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」と現われて下さいました。アブラハムがカルデヤのウルにいても、ハランに移っても、約束の地カナンに住んでも、エジプトに行っても共にいて下さいました。

わたし達はどこにでも一緒にいてくださる神様を、時と所を定めて礼拝します。それは神様がどこにおられるかを探し求める礼拝ではありません。神様を無視し、いつも自分中心の私を、イエス様によって丸ごと受け入れて下さっている神様に、時と所を定めた教会の礼拝によって出会うのです。