メッセージ  (説教より)
「士師記」



「誓いをはたす」         士師記 11章1-40節
エフドは遊女の子で、皆からさげすまれ、家を追い出され、トブに住みました。いつの間にかそんなエフドの周りにはならず者が集まりました。
そのエフドの元に、かつて自分を追い出したギレアドの人々が来て、アンモン人との戦いの指揮をとって欲しいと頼みました。困りあぐねての事とわかり、エフドが指揮をとってアンモン人と戦いますが、その際「アンモン人をわたしの手に渡してくださるなら、…わたしの家の戸口からわたしを迎えに出て来る者を…焼き尽くす献げ物といたします。」と神様に誓いました。大勝利を得たエフドを迎えたのは愛娘でしたが、娘の言葉もあって、誓いのとおり実行しました。
こんな事があっていいのかと思います。アブラハムがイサクを捧げる話がありますが、それとてもアブラハムの信仰を知った神様が雄羊を用意してくださいました。後の預言者は異教の忌むべき習慣としてこれを固く禁じています。
軽率な誓い、エフドは勝利のために取引したのではないかとも言われます。
しかし、へブライ人への手紙11:32ではサムエルやダビデと同じようにその信仰が賞賛されています。それは誓いをはたし信仰の筋を通した事なのです。
筋を通す事は融通が利かず、不自由なように思います。しかし結局は曲げてはならないことを曲げ、節を折る事で後からそのツケが廻ってくるのです。信仰には信じる方をもつ喜びや魂の自由や平安もあります。従いたいときには従って都合の悪い時には従わない、そこからは信仰の恵みは出てこないのです。