メッセージ  (説教より)
「士師記」



「失敗と悔い改め」  士師記 2:6−23
 「士師記」とは漢語で「審判・ジャッジ」の意味です。偉大な指導者ヨシュアが亡くなった後サムエルが現れるまでの約200年間、イスラエルの各地に士師が起こされ、イスラエルを治め、裁きました。士師記にはイスラエルの12部族になぞらえて12人(大士師6人、ほとんど名前だけの小士師6人)の士師たちの活躍が記されています。
 士師が登場する時には一つのパターンがあります。神を捨てて悪を行い、敵の手に渡されて苦しみ、悔い改め、神様が憐れみ士師を起こして救われるというものです。士師記はこの繰り返しです。いつの時代もその繰り返しなのです。

 聖書は罪を「神を捨てて悪を行うこと」と言います。私たちはそう考えません。例えば偽証することを罪と考えます。しかし聖書では、それは結果であって、神を神とせず自分中心から来ることと言います。放蕩息子は父のもとで生きることを嫌って外国へ行き、放蕩に身を持ち崩しました。何でもできることの自由は考えましたが、しないでもいられる自由に気付かなかったのです。自由を放縦と履き違えたので、その結果はさんたんたるものになりました。
 罪を犯さないに越したことはありませんが、人は肉体を持ち、弱さから罪を犯してしまいます。問題は失敗した後に悔い改められるかどうかです。罪は神様から離れた結果ですが、悔い改めは神様に向かって生きることです。罪の結果は刈り取りますが、悔い改めれば神様は必ず道を拓き、救ってくださいます。