メッセージ  (説教より)
「ヨシュア記」




「主の闘い」             ヨシュア記 10:1−15

 エリコとアイを攻略したイスラエルは、ギブオンの策略にはまって和平を結びました。それで怒ったのは連合してイスラエルを討とうとしていたカナン中央部の5人の王達でした。それで先ずギブオンを撃つことにしましたが、ギブオンはイスラエルに助けを求めました。ヨシュアはそれを聞くと直ぐに決断し、夜通しかけて戦場に赴き、一気に5人の王達に勝利したのでした。
 5人の王達はまさかイスラエルがそんなに早く駆けつけるとは思ってもいなかったのでしょう。大きな石のような雹も降り、まるで一日が二日のように感じられる戦いでした。
 イスラエルは自分達のミスで5人の王と戦うことになりましたが、これは一度はしなければならない戦いでした。既に敵は連合軍を組織していたからです。避けられない苦しみへの妙薬は、逃げることではなく自分から迎え討つことなのです。

 イスラエルは奇策を用いて戦いますが、聖書は「主がイスラエルのために戦われた」と言います。戦いの節目節目でこれを忘れるなと確認しています。信仰とはそこに目が開かれることですし、聖書が言い続けているのはこのことです。
 人生の胸突き八丁で、ここは神様に出ていただかなければなんともならないと思い、願う時、神様は本当に戦ってくださるのです。イギリスで奴隷解放をしたウィルバーホースは、「この戦いは主の戦いである」と言い続け、その偉業をなしとげたのです。