メッセージ  (説教より)
「エレミア書」




「平安を祈る」         エレミヤ書 29:1−4

 バビロンに破れ、奴隷として連れて行かれたイスラエルの民に明日の希望はありません。人々は刹那的で投げやりになり、逆に甘い予想を立て、それを煽る人もいました。そんな同胞にエレミヤは手紙を書きました。

「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。わたしはエルサレムからバビロンへ捕囚として送ったすべての者に告げる。家を建てて住み、園に果樹を植えてその実を食べなさい。妻をめとり、息子、娘をもうけ、…そちらで人口を増やし、減らしてはならない。わたしが、あなたたちを捕囚として送った町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい。」

 目先のことにとらわれない、なんという腰の据わりようでしょう。しかし、その言葉はバビロンにこびを売り、祖国を裏切り、いさぎよさのない生き方のようにも聞こえます。ですからエレミヤとまったく逆の生き方を説く預言者や占い師もいました。しかし彼らは神が遣わした者ではない、とエレミヤは言うのです。

 「主はこう言われる。バビロンに七十年の時<注:神様の時>が満ちたなら、わたしはあなたたちを顧みる。…わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。」

 歴史の主を知り、畏れ、従っているので、置かれた土地で責任ある生き方をします。自分を投げたり、浮かれたりせず、そこで神様の平安を祈るのです。