メッセージ  (説教より)
「ヨハネによる福音書」





「見よ、この男だ」   ヨハネ19:1−16    

「見よ、この男だ」と言って鞭打たれたイエス様をピラトが人々にさらすと、「殺せ、殺せ、十字架につけろ」と人々は叫びました。無慈悲なピラトが何とかイエス様を赦そうとし、信仰に生きているはずのユダヤ人達は十字架につける画策をしました。

人は自分中心です。人は自分に仕えるという鉄の憲法を持っています。人は隣人を愛したり赦すことはできないのです。自分の都合のいいことは受け入れますが、少しでも自分が干渉され、利に反するとなると牙を剥くのです。よかれと思ってしたことも誤解を受け、善意の忠告も逆恨みされます。

神様の最高の善意は最大の誤解を受け、神の独り子が敵意をもって十字架につけられました。しかし、これによって神様の救いがなったのです。

人は隣人を愛したり赦したりはできないのです。理解できると思うのは傲慢です。赦すのでなく赦され、愛するのでなく愛されていることを知る、これが聖書の教えの根本です。「見よ、この男だ」とさらされ、人の罪と赦しが凝縮されたイエス様を見続けるのです。