メッセージ  (説教より)
「ヨハネによる福音書」





「真理とは何か」    ヨハネ18:28−40

「わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く」(ヨハネ18:37)

イエス様は無茶苦茶に十字架に架けられたのではありません。裁判で裁かれた結果です。裁判は法に基づき、法には正義や真理の裏付けがあるはずです。その法、正義、真理とはなんでしょうか。

祭司長達は汚(けが)れないで過越祭の食事をするために異邦人ピラトの官邸には入りませんが、一方では、イエス様の代わりに、神の法を破った強盗のバラバの釈放を求めました。自分たちが考える聖さや秩序を守るため、法に従ってイエス様を十字架に掛ける判決を下したのです。

ピラトにとって真理とは、ローマの権威に裏打ちされた力でした。しかしその力は、イエス様の無罪を信じていてもユダヤ人の言いなりになってしまう力なのです。

祭司長達やピラトの最大の間違いは自分達は真理を持っており、真理に従って裁けると思い、それを実行したことでした。人は真理を持っていないのです。

自分の持つ真理に従って人を裁き、ことを決める恐ろしさ。イエス様の愛と赦しの真理に聞きつつ、ことを決定できないでしょうか。