メッセージ  (説教より)
「ヨハネによる福音書」





「神を見る」          ヨハネ 14:1−14

フィリポは「主よ、わたしたちに御父をお示しください」と訴え、主イエスは「わたしを見たものは、父を見たのだ」と言われます。    

 神を見たいと思う事は、神を信じたい、救いをはっきりさせたいということの別の表現です。

 ヨブは身に覚えのない不条理に苦しみますが、「あなたのことを、耳にしてはおりました。しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます」と告白します。(ヨブ記 42:5)。理不尽な苦しみの意味はわからなくても、世界を支配している神様がはっきりわかる、それが救いです。

 パウロは「顔と顔を合わせて見ることになる」(コリントT 13:12)と言いますが、これは神様を見ることです。信仰、希望、愛の行き着く先は神を見ることで、神様の御手のなかで喜びをもって生きることです。

 イエス様の内に神様の愛があり、救いがある。イエス様が人と神様の懸け橋で、イエス様を見ることは神様を見ることです。

 自分が救われてわかるのは隣人の苦しみです。神の愛の救いを語り、隣人のために祈る。伝道とは隣人に神の愛を祈ることなのです。