メッセージ  (説教より)
「ヨハネによる福音書」





「夜を照らすもの」          ヨハネ 13:21−38

イエス様と行動を共にするうち、ユダはイエス様との隔たりを感じ出したに違いありません。そしてついにイエス様に見切りをつけたのです。ユダは裏切りの思いを上手に隠していましたが、心を痛めていたイエス様にはよく見えていました。ユダの心をひるがえすために、その足を洗い、愛情の表れであるパンを浸してユダに与えますが、その思いは届きません。     

「ユダはパン切れを受け取ると、すぐ出て行った。夜であった。」(ヨハネ13:30)ユダの心を表す象徴的な言葉です。

ユダを選んだのはイエス様でした。そのユダがイエス様を裏切る。イエス様には人を見る目がなかったのでしょうか。ユダは恩を仇で返すような特別に破廉恥な人だったのでしょうか。違います。絶対に裏切らないのは動物かロボットだけです。人はいつも裏切る可能性を持っています。愛はいつもそうです。それなら、この闇を照らすものはなんなのでしょう。

「イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。」(ヨハネ 13:1)

この中にユダも入っています。ユダの裏切りを分かった上で愛されたのです。ユダがイエス様を愛する以上に、イエス様を裏切った時も、その愛を見失って自死した後も、イエス様はユダを愛しぬかれているのです。闇の中にこの愛が輝いています。これが分かりますか。ここに立てませんか。