メッセージ  (説教より)
「ヨハネによる福音書」





「キリストをまねる生活」       ヨハネ 13:12−20     

「主であり、師であるわたし<イエス様>があなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。…このことが分かり、そのとおりに実行するなら幸いである。」  (ヨハネ 13:14-17)

 弟子達の足が洗われるとは、イエス様から「仕えられ」「赦され」「愛される」事です。本来なら、人から仕えられるはずの神の子が人に仕え、足を洗い、自分の命を与えてわたし達を神のものとして下さいました。信仰とは、神様に愛されている自分のありがたさが分かることです。

 イエス様はさらに、隣人の足を洗え、隣人と一緒に生きよと言われます。

 あんな人はいなければいいと思い、密かに失墜を願う生き方。その時は隣人は見えていません。生き方が不毛です。それを知っていますからわたし達は、なんとか一緒に生きるために隣人の足を洗おうと努力します。

 しかし、それは逆です。イエス様から足を洗っていただいた事実。そこから押し出されて、初めて隣人の足は洗えるのです。                  

「あなたがたはこれが分かるか。分かってほしい。分かってその通り行ない、幸いな歩みをしてほしい」とイエス様は言われるのです。