メッセージ (説教より) 「ヨハネによる福音書」 |
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「弟子の足を洗う」 ヨハネ 13:1−11
イエス様は父のもとへ移るべき時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛しぬかれました。食事の席で立ち上がり、弟子たちの足を洗われたのです。それはイエス様が人となられたことの意味を行動で示したものでした。
ペトロが「わたしの足など、決して洗わないでください」と言うと、イエス様は「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」(ヨハネ 13:8)と言われます。
イエス様の洗足の業は究極的な謙遜の姿ですが、「わたしなどにはもったいない」ということではありません。神様が人を愛しぬかれたことであり、マルコは「仕える」(マルコ 10:45)こととして、パウロは「神の敵であった時でさえ、その死によって神と和解させてくださった」(ローマ 5:10)こととして記します。
信仰は神様の愛に目覚めることです。私の知らないところで神様は私を愛して下さっていたのです。何と有り難い、感謝なことでしょう。これが信仰の中心です。
ペトロが「足だけでなく、手も頭も」と言うと、イエス様は「既に体を洗った者は、全身清いのだから、足だけ洗えばよい」と言われます。(ヨハネ 13:9-10)
私たちはイエス様の言葉を信じて清くされました。洗礼を受けて清められたのです。しかし足は汚れます。足は生活の象徴です。思いと言葉と行いにおいて汚れ、日々の祭壇で、また主日の礼拝ごとに清めていただくのです。