メッセージ  (説教より)
「ヨハネによる福音書」


   

「キリストの救いの叫び」        ヨハネ 12:44−50

 この個所は、これまでのヨハネ福音書のまとめと、この後の記述の導入の部分で、イエス様が語られた救いへの招き叫びです。

 人はなぜイエス様を信じられないのでしょうか。

 「議員の中にもイエスを信じる者は多かった。ただ、…人々をはばかって公に言い表さなかった。彼らは、神からの誉れよりも、人間からの誉れの方を好んだのである。」(ヨハネ 12:42-43)

 心の内で信じていても、それを公にしなければ信仰にはなりません。公にしないのは、人から悪く思われたくないからなのです。そして、結局は、自分を愛するのか、自分を愛して下さっている神様を愛するのか、ということなのです。

 「父の命令は永遠の命であることを、わたしは知っている。」(ヨハネ 12:50)

 父の「命令」とは、「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ 13:34)の「掟」と同じことです。

 愛に生きることは命に生きることです。生きる実感は愛し合う喜びの中にあります。愛せない時ももちろんあります。その時も、イエス様の「洗足の愛」に押し出されて神様の愛に立ち返り、永遠の命に生きるのです。

 憎しみと不安に生きる。それは暗闇です。「わたしを信じ」神の愛に生きよ、とイエス様は叫び、招かれます。招きに身を委ねませんか。